長いレースを走ることは、人生を一回やってくることと似ている

昨日、安芸太田町で行われた「しわいマラソン」を走った。
朝5時半にスタートして、88kmを13時間以内にゴールする。
高低差854m、獲得標高は2,628m。
ものすごく簡単に言うと、宮島の弥山を5往復しながら三原市まで走る感じだ。

こういうロングラン、いわゆるウルトラマラソンを走っていて深く同意した言葉がある。
高校教師にして日本有数のトレイルランナー山本健一さんが「情熱大陸」の中で語っていた言葉だ。
彼は「Andorra Ultra Trail “Ronda Dels Cims”」の160kmに挑む前、次のように語っている。

今から。
まあ、そのコース一周かけて。
なんていうんですかね。
人生を一回やってくるみたいな感じ。
だから、楽しみですよ、ほんとに。
人生すよね。
凝縮された一生みたいな感じですよね。
今から始まるのは。
だから、きっと
まあ、楽しいことも、苦しいことも、いろいろあると思うんだけど。
やりきれば、すごい達成感あるんで。
まあ、楽しいっすね。
やりきりたいな。
そういう気持ちです。

僕は彼のように優れたランナーではないけれど「人生を一回やってくる」というのは、その通り!と納得した。
速いランナーならば、彼が述べていることが判るとは限らない。
僕のような遅いランナーでも思索を巡らせていれば同じ真理に辿り着くことがある。
名選手が名コーチではないように、それもまたスポーツの面白さだ。

そのことをさらっと書いたが、言葉が足りなくて伝わらなかったようだ。
そのため、もう少し丁寧に書いてみた。
長いレースを走ることは、人生を一回やってくることと似ているのだ。

  • 万全の状態でスタートできるとは限らないこと。故障していることもある。不具合もある。でも時間が来たら走り出すこと。現状でのベストを尽くすこと。
  • 一人で走ること。誰かを頼ろうとしないこと。主体的に走らないレースに価値はないこと。
    マイペースを保つこと。人の価値観で走らないこと。自分のレースは自分で組み立てること。
  • 抜かれても気にしないこと。後ろに抜きたそうな人がいたら進路を譲ること。
    前の人を抜くときは威圧せず、そっと静かに抜くこと。できれば軽く手を挙げて会釈すること。
  • 疲れてもフォームを崩さないこと。崩れたフォームは疲れを倍加させ、特定の箇所に負担をかける。苦しい時こそ顔を上げ、胸を張ること。
  • コースを楽しむこと。上り坂には上り坂の、トレイルにはトレイルの、ロードにはロードの楽しさがある。コースを恨んだりしないこと。
  • 苦しくても仏頂面で走らないこと。声援にはなるべく声を出して「ありがとう!」と言うこと。ハイタッチには元気に応じること。
  • 山の緑を慈しみ、風の匂いを楽しむこと。雨が降ったら体温が下がって呼吸が楽になることに感謝し、陽が差したら空の青さを喜ぶこと。
  • 途中でお喋りする相手ができたら仲良くすること。でもお互いのペースが違うことに気付いたら笑顔で別れること。
  • エイドステーションでは明るく振る舞うこと。丁寧な言葉遣いに気を付けること。おいしければ「これ、おいしいですね!」と伝えること。
  • 痛みと仲良くすること。痛みは身体のメッセージだが聞き過ぎるのも良くない。上手に付き合ってコントロールすること。
  • 痛みが酷くてどうしても走れなくなれば自分の判断で脚を止めること。治ったら再び走り始めること。
  • 声援がなくても、前後のランナーがいなくても、ダラダラと走らないこと。誰も見ていなくても、自分自身が見ていること。
  • ゴール前では最後の力でスパートすること。そして笑顔でゴールすること。
  • 全てが終われば愛する人の元へ帰ること。そしてゆっくり休むこと。

僕がこれまでに考えたことは以上だ。
もっと優れた人ならば、さらにたくさんの真理を得ていると思う。
残念ながら、最後の項目は実現できていないけれど。
でも、いつかそうなればいいなと思っている(笑)

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