体力という貯金を増やす生活と減らす生活

先日「そんなに走って仕事に差し障りないか?」と訊かれた。
またその質問かと思ったが、どのように答えたのかは覚えていない。
おそらく適当に誤摩化したと思う。
目先のことしか見えない、長いスパンで物事が考えられない人に説明するのは面倒だし、真面目に説明したら嫌われるからだ。
そもそも、問いさえすれば何でも親切に教えてもらえると考えるのは間違いだ。

「自分も元気になったら走ろうと思う」という人も同じ。
ケガや病気をしている人ならともかく、健康な人がそんなことを言うのは根本的に間違っている。
元気になったら走るのではなくて、走るから元気になるのだ。

疲れるから走らないのであれば、休みの日は疲れを抜くために費やすのだろう。
しかし、それでは体力の向上は見込めない。
加齢とともに体力は落ちる一方なので、休む時間はどんどん長くなる。
ところが仕事は徐々に内容が濃くなる。
休んでも休んでも疲れが抜けなくなり、常に疲れた人になってしまう。
そういう人が上記のようなことを言うのだ。

走れば疲れる。
それは確かだけど、繰り返し鍛えれば回復は早くなる。
体力が向上するので、疲れにくくなる。

走ればストレス解消になるし、中には走ることによって心が強くなる人もいる。
体力や精神力を向上させれば、当然ながら仕事に対してもプラスに働く。

要は貯金を貯める生活をするのか、取り崩す生活をするのかだ。
体力という貯金は加齢とともに目減りする。
放って置いても減り続けるのに、取り崩す額を減らせばいいという選択はない。
子供でも判る理屈だ。

一時的に大きく取り崩してもいいから、それを元手に貯金を増やすのが正しい選択と僕は思う。
また、この投資は確実なリターンが見込まれる。
何らかの疾患など、事情がない限り間違いなく貯金は増える。

ただ、投資したくない人に投資しろとは言わない。
自分の人生は自分で決めるべきだし、馬を水場まで連れて行くことはできても、無理に水を飲ませることはできない。
僕とは人生に対するアプローチが違うだけで、彼らには彼らの考えがあるに違いない。

だから走りたいという人には助言するし、具体的なサポートもするけれど、その気がない人には勧めない。
走らなかったら体力が落ちる一方だから、仕事に差し障るのではないか?とも問わない。

ただ僕は走る人生を選んだことに悔いはなく、走る前の人生と比べ、公私ともに充実している。
判る人は説明しなくても判ってくれるし、判らない人は説明しても判らないのだけど。

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