ゴビ砂漠マラソンレポート (ETAP1)

2014年9月8日から14日まで行われた「グレートモンゴリア・ゴビデザートマラソン2014」に出場した。
砂漠を6日間で251km走る、いわばダカール・ラリーのマラソン版だ。
こういうレースはデザートマラソン(=砂漠マラソン)と呼ばれ、世界各地で行われている。
距離や日数に少し違いはあるけれど、概ね250km前後で、日数は7日くらい。
サハラマラソンが最も有名で(モロッコスタートとエジプトスタートの2レースがある)、チリのアカタマ砂漠や、ゴビ砂漠でも中国側を走るレースもある。
究極なのは「ザ・ラストデザート」と呼ばれるレースで、砂漠マラソンを2つ以上完走しないと出場権が得られなくて、ステージは南極になる。
砂漠と言われれば砂漠なのかもしれない。
 
出場のきっかけは、昨年11月の下関海響マラソンが痛恨のDNFだったこと。
自らの不甲斐なさを悔やみ、チャレンジの角度が下がっているように感じた。
そんな時、小野裕史さんのブログに出会い、彼の影響を受けてこのレースをノータイムポチリしてしまった。
小野さんとはその後、直接会って走りながら話をしたり、僕が発起人で広島でトークライブをやってもらったりしたので、今回のレースに向けて、多くのアドバイスを得た。
彼はゴビもサハラもアカタマも、そして南極すら制覇しているマラソンジャンキーだ。
 
僕は11月にこのレースを申込み、12月は250km、1月から3月は300km以上走り、4月から6月で毎月ウルトラマラソンを走った。
みやじまパワートライアスロンにも出たので7月はちょっと疲れが出たけれど、8月は盛り返して250km走り、直前の1週間は疲労とアルコールを抜いてレースに望んだ。
 
このレースに向けて、僕の主要装備は次のとおり。
今後、砂漠マラソンに出場する人の参考として挙げておく。
ウェアの上は全てファイントラックで、アンダーがフラッドラッシュパワーメッシュ、その上にラミースピンドライ。
これが基本で、気温に応じてパールイズミの極薄ウインドブレーカー(自転車用)またはエバーブレスフォトンを着た。
アンダーもフラッドラッシュパワーメッシュを履き、ショーツがノースフェイスのフレキシブルショート。
あとはカーフガードとアームカバーにワコールのCW-X。
CW-Xはタイツも持って行ったが途中で転けて破れてしまった。
靴下は武田レッグウェアーのTRR-30G。
サングラスはジンズの度付きランニング用。
帽子はレードライトのサハラキャップ日本限定モデル。
シューズはザ・ノース・フェイスのシングルトラックハヤサ2とアシックスのゲルフジセンサー。
行く前はシングルトラックハヤサ2をメインに考えていたが、路面が荒れているのでソールが柔らかいこのシューズでは足のダメージが大きいことが判った。
荒地では外装が堅牢なゲルフジセンサーが断然強く、3日目からはずっとゲルフジセンサーで走った。
シューズが柔らかいと足との摩擦が増えるのでマメが出来やすいのだ。
バックパックはサロモンのスキンプロ10+3。
給水システムはキャメルバックのエディボトル0.6リットル。
これは2本持って行ったが1本で十分だった。
行動食はスタート前のペスパハイパーと、エイド毎のハニースティンガー。
砂漠マラソンでは塩を配給してくれることが多いようだが、この大会はなかったので塩熱サプリ。
これは必須で日本人ランナーは全員携行していた。
レース中、昼ご飯はほとんど食べず、これらの行動食をエイド毎、口に入れる。
大量に持って行ったハニースティンガーを食べ尽くしてしまった。
 
ビバークでの休息時はTシャツの上にドラウトセンサーを着て、ユニクロのウルトラライトダウンを着込んだ。
それでも寒い夜はさらに上から中綿入りのスポーツウエアを着た。
テントは友人から借りたアライテントのエアライズ1。
終わってみれば色々改善点はあれど、大きな不自由なく過ごすことができた。
もちろん毎日フルマラソンを走って、身体を洗うこともできず、同じウエアを着続けるのは大変なストレスではあったけれど。
 

【ETAP-1・36.375km】 

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スタートとゴールはウランバートルから南に300kmほど南下した場所にあるバヤンゴビ。 
道がかなり悪く、移動だけで7時間かかるので前日の夕方に現地入りした。
いくつかのツーリスト宿泊用ゲルが立てられており、レストラン棟と温かい水が出るトイレ&シャワー棟がある。 
ゴビ砂漠では豪華ホテルと言っても差し支えな
いほど充実した設備だ。
ゲルというのは羊毛で覆われたテントで、中で火を焚けば温かいが、そのままだとかなり寒い。 
二酸化炭素抜きなのだろう、地面から数センチは吹き抜けなのだ。 
僕はダウンを着込んで寝たので何とか眠れたが、寒さで何度も目が覚めた。 
レース当日は6時半から朝ご飯、7時半にブリーフィング、8時にスタートとなった。 
これから6日間、ほぼ同じルーチンが続くことになる。 
 
コースは遥か北に見える山に登り、ぐるりと戻って来る。 
スタートは和気藹々、ゆったりとしたものだった。 
ゴールは251km先の彼方。
もの凄く長い。 
ここで急いでも仕方がない。 
しかし僕は初めて踏みしめる大草原の感触が嬉しくてついついペースが上がってしまう。 
今回のレースを通じてすっかり友人になった鵜飼さんと二人で先頭をキロ6分くらいのペースで走った。 
すぐに後ろから杉ちゃんが上がって来て呉越同舟が続く。 
他の人たちもすぐ後ろから追っていて、A-3(18km)まであまり距離は離れていなかった。 
エイドで休みすぎると身体が動かなくなることもあり、A-3の補給を手早く済ませ、杉ちゃんと鵜飼さんが飛び出した。 
初日も半分を過ぎ、フィニッシュへの意識が生まれてくる。 
A-4は山の上にあり、登りが苦手な僕は落ちるだろうと思っていたが、力の差を知るためにできるだけ付いて行ってみようと考え、必至で先頭集団に食らいついた。 
先頭は杉ちゃん、鵜飼さん、丸ちゃんの3人で、杉ちゃんと丸ちゃんはサハラマラソンで日本人1位を獲得したことがあり、ステージレースの経験が豊富。 
さらに杉ちゃんはバイクラリーもやっており、ステージレースの何たるかを熟知している。 
丸ちゃんはアイアンマンディスタンスのランを3時間半で走るという、とんでもない走力と持久力がある。 
鵜飼さんは砂漠マラソン初参加ながら、富士登山競争で4時間を切るエリートランナー。 
さらに3人とも山登りをやっている。 
僕とはレベルが明らかに異なり、彼らが息を乱さずにスイスイ走る後ろを、息を切らせながら何とか付いて行った。 
 
A-4(22km)を出る頃にはガタさんも追い付いて来て、5人で山を降りた。 
この時の5人がこの日以降もずっとトップ5を維持したので、1日目の途中で大勢は見えていたと言えるのかもしれない。 
もちろん、長いステージレースでは何があるか判らないし、実際に色んなことがあったのだが。 
 
A-5(28km)に向かう道すがら、途中で杉ちゃんが「お先!」と言って飛び出した。 
これを僕と鵜飼さんが追いかけ、キロ5分を切るペースでA-5に飛び込んだ。 
この時は僕が先頭だったので、給水のため脚を止めたが、杉ちゃんと鵜飼さんは「通過するよ!」と言いながら駆け抜けて行った。 
杉ちゃんのレースレポートを読むと、ここで止まらないことを提案したのは杉ちゃんで、スパートを続けることにより僕を振り落とす作戦だったようだ。 
僕はすぐに2人を追いかけようとしたが、どうも体調がおかしい。 
身体が痙攣したようになって全然走れないのだ。 
少し歩いてみると治るかな?と思ったが治らない。 
脚や腹筋が攣ったようになり、身体に力が入らない。 
 
軽い頭痛のようなものもあり、平地に見えても標高は1,500mくらいあるので、この時は高山病かな?と思ったけれど、思い返せば途中での補給が不十分で、低血糖かミネラル分の不足によるものだったのかもしれない。 
2人は視界の彼方に消えて行き、しばらくすると丸ちゃんとガタさんにも抜かれた。 
抜かれる時「どしたの?」と言われたが「高山病かも?」と返事するのみ。 
塩熱サプリを齧ったりしていたらやっと痙攣が抜けたのでゆっくり走り始め、何とかゴールすることができた。 
順位は5位。 
先頭からは20分も差をつけられ、初日から波乱のスタートだった。 
 
しかしこの日、最も波乱だったのは修造だ。 
ゴールまで戻って来たのはいいが、A-5を見落として不通過となっており、そのままゴールすると失格宣言される。 
彼はチームとしても登録しているので、自分が失格になるだけでなく、チームが失格になる。 
そのためA-5まで戻って再び走っているというではないか。 
走り終わって昼ご飯を食べている時にその話を聞かされ、ゴールで彼の帰りを待った。 
戻って来た修造は「僕は皆さんよりワンゴビ多く楽しみましたよ!」とあくまで前向きだった。 
彼は弱音を吐いたり、疲れた顔を見せたりは
決してしない、レースの最後までエエカッコしいだった。 
杉ちゃん、ぎんちゃん、修造の3人は皆、会社の社長だが、彼らの強さの一端はそこにあるのかも?と感じた。 
トップが弱音を吐いたり、疲れたりしていたら組織の士気が落ちる。 
どんな時でも笑顔でエエカッコできることが大切なのではないかと考えたりした。 

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