周南24時間リレーマラソン

出雲路センチュリーライドから一週間。
24日から25日にかけて、周南市で行われる24時間リレーマラソンに参加した。
聞き慣れない競技だが、要は24時間をリレーで走り続けるというもの。
ここでは一周1.63kmの周回コースを走り続け、何周走ったかを競うレースだ。
初めての競技だし、当然だけど24時間走り続けるなんて未知の世界だから、興味津々での参加だった。
もちろん一人では参加できないので、先輩ランナーである鍋ちゃんに声をかけ、そこから芋蔓式に参加者を募った。
チーム名は適当に「チーム快食」とし、鍋ちゃんを部長に据え、僕がマネージャーをやった。
その他の参加者は、634さん、ネコ吉さん、daiちゃん、ひこさん、恵、ヤマダくん。
様子が判らないので必要かな?と思えるものをピックアップして、とりあえず現地に向かった。
現地に用意されていたのはテントのみ。
テントの下は地面だったが、鍋ちゃんがアウトドア用品をどっさり持って来てくれていたので、シートを敷くことができた。
その他にも3〜4人眠れるテントを張ったり、折りたたみ式椅子やテーブルを用意してくれていて、なかなか立派なベースキャンプになった。
競技には15名まで参加できるが、我がチームは9名。
しかも、ひこさんと恵は膝に故障を抱えているので、フルメンバーを揃えているチームとは戦力差がちょうど倍くらいあった。
でもまぁ、ケガのないように、集団練習のつもりで走ろうぜということで走り始めた。
第一走者は鍋部長の指名により僕。
とりあえず順番に一周走ってみようよということになった。
24日の正午と同時にスタートすると、短距離走かよ!と突っ込みたいくらい、すごい速さで皆、飛び出した。
何だ!このレースは?
と戸惑いながら周囲に引きずられ、一周6分55秒で帰って来た。
これを1kmに換算すると、4分15秒である。
マジかよ、こんなペースで走るのか?と思ったが、周囲はそんなもんじゃない。
一周5分台で走っている人がいくらでもいる。
トップはおそらく4分台だろう。
24時間レースだから、長距離の競技だと思っていたが、そうじゃない。
これは中距離をリレーする競技だったのだ。
とてもじゃないけれど、僕には付いて行けないので、2周目からはペースを落とした。
一周8分ちょっとで、1kmでは5分くらい。
これでも市民ランナーでは、そんなに遅くないのだが、如何せん、周囲のレベルが高すぎる。
皆も走りながら「一周する間に9割に抜かれて、1割抜き返す感じだな」と感想を言い合った。
当初の予定では、誰かが走っている間に、残りの人はご飯を食べに行こうぜと言っていたけれど、そんな時間はなさそうだと判ってくる。
とはいえ、食べずに走り続けるのは無理なので、テイクアウトのタイ料理を買いに出かけた。
また、この日は鍋ちゃんの誕生日だったので、サプライズで誕生日ケーキも予約していたのだ。
夕方に皆でバースディソングを歌い、鍋ちゃんがロウソクを吹き消し、地元のテレビ局も珍しいからか取材に来て、タイ料理とケーキを食べた。
しかし、この後から徐々に寒さが厳しくなってきて、脚の疲労も蓄積してきた。
僕は20時台に3周して身体を温め、少し横になって休んだ。
この時に少し眠ったようで、起きたのは23時台だった。
中にはこの間にラーメンを食べに行った者もいたようで、走っている者は3名しかいないという状況になったらしい。
そこで僕が起きて走り始めたのだが、0時を過ぎると寝落ちする者も出てくる。
開始から12時間経っており、その間、断続的にハードな運動をしているのだから当然だ。
僕は先に少し休んだので、0時からは率先して走った。
しかし、3時過ぎ頃だったろうか、ハードローテーションで回していたので、徐々に脚が回復しなくなってきて、このままではタスキが止まりそうになった。
この時、友人の女性2名が差し入れを持って来てくれ、脚のマッサージなども行ってくれた。
寒さと疲れで心が折れる寸前だったが、何とか復活し、最も長く睡眠を取っていたヤマダくんを叩き起こした。
取りあえず10周走れ!と言うと、しっかり寝ましたから!と言いつつ5周走ってくれた。
そして、思考力が落ちて次に誰が走るかのマネジメントができなくなりつつあったので、女性の一人がマネジメントを買って出てくれた。
これが非常に有効で、各人の走るペースを見ながら「あと3分くらいで帰って来るから準備して!」とか「あなたの順番になったら起こすから今は寝てて!」とか、これが本物のマネージャーだと敬服した。
選手は走ることに専念し、マネージャーが全体を統率する。
僕のように名前だけのマネージャーではダメで、特に我々のような少人数のチームには、絶対に必要な役割だったのだ。
もう一人の女性は黙々とマッサージしてくれ、この二人がいなければ完走は覚束なかっただろう。
彼女たちのお陰で、明け方には再度仮眠を取ることができたので、夜が開けてからは元気に走り続けることができた。
太陽の光が差し始めると、凍えるように寒かった身体が、徐々に温まって来るのが判る。
日の光ってこんなに温かくて元気が出るんだ!と心から痛感した。
来年はベンチコートが必須だ。
朝になってからはペースを上げて、トータルで20周まで走った。
この辺りから欲が出て来て、フルマラソンを越える27周を走りたいなと思っていたら、鍋ちゃんも同じことを考えていた。
一緒に27周を目指そうよと言ったが、二人がそれだけ走ると、他の人が走る時間がなくなってしまう。
リレーである以上、同じ人が走り続けるのは面白くないので、それを察した鍋ちゃんが「俺はええからシャオちゃん走りな」と譲ってくれた。
鍋ちゃんだけでなく、他の人も頑張れば27周を目指すことができたはずだが、彼らも僕が目指すならと時間を譲ってくれたので、闘争心に火がついた。
譲ってもらった以上、無様な走りをする訳にはいかない。
僕が競技中、常に声をかけていた「速く走らなくていいから、自分のベストは尽くそうぜ」という言葉がブーメランになって突き刺さる。

残り7周は1周ずつ走るよりも、まとめて走って残りの時間は回復に徹したほうが良いと考えたので、終了3時間前の9時台に4周走った。
ペースは一周8分15秒。
数字的には結果が出せたが、走り終わった後はボロボロ。
座っていることもできないほどで、横になって身体の回復を待った。
その間、マッサージもしてもらったが、少し触られただけで飛び上がるほどの痛みがあった。
これで残り3周が走れるのか?と思いながら、筋断絶がなければ何とかなるだろうと考えていた。
鍋部長から「最終走者もお前だ。言い出しっぺが締めろ」と言われ、ここまでずっと一周約8分ペースで走っていたので、最後は11時40分にタスキを渡してくれるよう、周囲にお願いした。
そうすると3周目を走っている途中で時間切れになり、正午を過ぎれば計測器が止まるため、全員で雪崩れ込むようにゴールしても構わないからだ。
僕は一人でゴールするのではなく、一緒に走ったりサポートしてくれた仲間とゴールしたかったので、敢えてそのように時間調整したのだ。
しかし、最後のタスキが僕に渡ったのは11時35分過ぎ。
残り24分少々で、もしかしたら3周ではなく、4周走れるかもしれないギリギリのタイミングだった。
前の走者が頑張ってくれたからなのだが、難しいタイミングで渡しやがって!と思いつつ、時間調整のためにゆっくり走るのは冒涜なので、とにかく全力で走った。
当然だが一歩ごとに脚が痛い。
手を振っても脚が前に出ないので、ピッチを速くして工夫しながらとにかく走った。
1周目は何とか8分を切れたと思う。
しかし、2周目からはガクンとペースが落ちた。
どうやってもペースが上がらなくて、脚が全く前に出てくれない。
3周目は何とかもう1周!と思いながら、懸命に脚を動かしたが、ゴール手前150mくらいで正午を迎えた。
およそ30秒くらい時間が足りなかった。
ちょうど我々のテントがその辺りだったので、仲間とハイタッチしながら走り抜け、そのまま計測器の止まったゴールに飛び込んだ。
トータル27周、距離にして約44km。
僕自身の最長不倒記録の更新である。
そして僕だけではない。
この競技中に我々が走った総走行距離は約270km。
広島駅から博多駅の距離に匹敵する。
順位は130チーム中108位と全然優秀ではなかったけれど、今から振り返っても、本当に素晴らしい時間で、本当に素晴らしい経験だった。
来年もぜひ、仲間を増やして出場したい。
僕だけかもしれないけれど、大人になってから、こんなに感動できるのはスポーツだけだと思う。
ゴールした後は、全力を出し過ぎて座ろうとしても膝が抜けた。
後片付けも手伝えない。
滝のような汗を流しながら、放心状態で座り込んでいることしかできなかったけれど、何とか撤収して、荷物を搬出していると、閉会式でチーム快食の名前が呼ばれた。
飛び賞というのがあり、108位にも商品が配布されたのだ。
受け取るとソイジョイの48本詰め合せだったが、表彰してもらえただけで嬉しかった。
今回の反省はたくさんあり、最大の問題は選手の少なさ。
やはり最大の15名まで選手を揃えないと他チームと競うのは厳しい。
12時間で7名が交代に走り、残り12時間で別の7名が走るような戦略が普通に行われている中で、我々はほぼ全員が24時間走るという、かなり無謀な戦略を取ってしまったのだ。
それと食糧は常に用意していて、ちょこちょこと食べ続けるのが正解。
当初、この機会に周南市の行きたかった店へ食べに行けばいいじゃんと思っていたが、そんな時間はなかったし、がっつり食べてしまうと走れないのだ。
果物やご飯をちょこちょこ摘むくらいで十分。
あとは夜に温かいスープがほしい。
これは今回、差し入れで持って来てもらったが、リアルに生き返った。
逆に昼間は冷たい飲み物が必須なので、氷とクーラーボックスも重要。
また、夜中は走者を見落とすので、服装以外の目印が必須。
我々は快食.comのオフィシャルTシャツを着ていたが、汗で濡れると着替えるため、別のTシャツを着ている時間も長かったし、同じような色合いのTシャツを着ている人がたくさんいたからだ。
また、チームのテントを走っている途中に見失うので、判りやすい幟もほしい。
走りながらの伝達事項が結構多いのだ。
出走ボードは僕が簡単に作って行ったが、もっとちゃんとしたものが必要だった。
ホワイトボードで作成すればベスト。
ストップウォッチと、キッチンタイマーが複数必要。
ラップタイムの計測にストップウォッチと、睡眠時間の管理にはキッチンタイマーが便利と考えたのだ。
それと夜はLEDランタンが必須。
今回は1つしかなかったが、来年は3〜4つほしい。
逆に椅子は皆が持って来てくれたのでほぼ足りていた。
でも、観戦者が増えればもっと必要かも?
チーム総体としてパフォーマンスを上げるため、個人目標をあらかじめヒアリングしておくべきだった。
例えば僕は最長不倒記録の更新という目標を達成できたが、最初から他の人にもヒアリングしておけば、僕だけじゃなく、他の人も個人目標を達成できたと思う。
これはマネージャーである僕の失敗だった。
色々反省点はあるけれど、初回にしてはいい結果だったと思う。
個人的には大成功だったと考えている。
来年はマネージャーとマッサージャーを正式に依頼したし、走者を増やして一人当たりの負担も減らしたい。
24時間あるとはいえ、一人が20周以上走るのはキツい。
合計すると30km以上になるからだ。
広島に戻ってからは、当然打ち上げを行ったが、寝不足と疲労で早々に解散した。
しかし、連帯感と充実感に満ちた、本当に良い打ち上げだった。
来年もぜひ出場したいと思った。
これを読んで、チーム快食で出場したいと考えた人は、ぜひご一報お願いしたい。
しんどいのは間違いないけれど、その分だけ感動できることは僕が約束する。

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