下関海響マラソン2012

r600x600

人生2度目となるフルマラソンを走ってきた。
初のフルマラソンも下関で、今から2年前になる。
その時の記録はここに書いているが、僕の中では忘れてしまいたいほど苦い記憶だ。
今回、密かに決意していたのは、何としても歩かないこと。
前にも書いているけれど、マラソンとは走る競技であって、歩く競技ではないからだ。
一人での参加なので、経費節約のため、当日の夜中に車で下関に向かう。
午前3時に家を出て、5時過ぎに下関に着いた。
予定していた駐車場に車を入れ、コンビニに寄って朝ご飯を食べる。
6時過ぎにナンバーカードを受け取り、車内で着替えを済ませる。
8時前まで仮眠して、スタート地点に向かった。
スタートは8時半。
前回はFブロックからスタートしたが、今回はCブロック。
さすがにこのブロックではコスプレしている人は見当たらなかった。
参加者は1万人弱と発表されていたので、フルの参加者は9,000人くらいかな?
AからFまでブロック分けされているので、一つのブロックに1,500人が集まっていることになる。
僕の前には3,000人以上のランナーがいて、スタートゲートまでに3分近くかかった。
人数が多いのでスタートからしばらくはジョギングペース。
隙間を縫うようにして走っている人もいたけれど、ハーフならともかく、フルなのだから、僕は敢えて流れに乗って走った。
最初の3kmくらいまではどうなるんだろ?と思うほどゆっくりだったが、徐々にペースが上がったので、10kmのタイムは57分。
身体は程よく温まったくらいだ。
しかし、サブフォーを狙うならばせめてBブロックからスタートする必要があると思う。
当然ながら序盤の遅れを終盤に取り戻すのは苦しい。
途中、ビブラムファイブフィンガーズで走っている男性がいたので話しかけた。
フルでそれを履くなんて凄いねと言うと「脚パンパンになりますよ〜」と言いながら、自信はあるっぽい。
これでフルを走ったことがあるのか訊いてみると、何度かあるとのことだった。
スピードはそれほどでもないけれど、踵は全く道路に着いておらず、綺麗なフォームで着々と走っている。
その後、会うことはなかったけれど、きっと彼なら完走しただろう。
また、ブラインドランナーの女性も見かけた。
何も見えない中で走るってどんな気持ちなんだろう?と思い、彼女の表情を見てハッとした。
笑顔だったのだ。
そうだよね、走ることができるって幸せなことだよねと改めて気付かされ、とても温かい気持ちになった。
彼女もその後、見かけなかったけれど、完走されたことを願っている。
その他、九州新幹線の幻のCMに出ていた戦隊スーツの人たちも応援してくれた。
あのCMを思い出して胸が熱くなり、僕はレッド、グリーン、ブルーとハイタッチした。
15kmくらいで右膝がグラグラした感じがして、痛みも出始め、一時はダメか?と思ったが、何とか持ち直してくれた。
2年前に1度走っただけのコースだが、驚くほど景色を覚えている。
前回、ここでエネルギージェルを口にしたなとか、そんなことまで思い出した。
20kmを過ぎるとアップダウンが始まる。
この日の気候は気持ちよい天気で、風がなければ汗が流れて困るほどだったが、海沿いでは強風に晒される。
体感温度がコロコロ変わってトリッキーだったが、海沿いの坂道を上ると風は一層強くなった。
帽子を手で押さえないと飛んでしまうほど。
汗で濡れた身体が冷えて、厳しい環境だった。
僕は長袖Tシャツの下にフラッドラッシュスキンメッシュを着ていたので、そこまで冷えなかったが、軽装の人は苦しめられただろう。
折り返し地点の21.1kmが1時間58分だったので、サブフォーは無理と判った。
後半が厳しいこのコースでペースアップはどう考えても無理だ。
脚的にも疲労が蓄積し、ふくらはぎが時々ピクピクしていた。
そこから長州出島までの道のりは上って下っての繰り返し。
島まで行けば「菊川の糸」のそうめんが食べられることが判っていたので、それを目当てに元気を振り絞った。
2年前は横になってしばらく休んだ救護所も通過し、そうめんを2杯食べた。
ここまでに適宜、エネルギージェルや塩タブレットなどを口にしているが、カロリー的にはわずかなので腹が減っていた。
島から本土へ戻る橋の上で30kmを超える。
2年前にはここで山口県の副知事に抜かれた。
同じ状況に置かれると、面白いほど思い出す。
ただし、今年の僕はちゃんと走っている。
速くはないけれど、着実に脚を前に出している。
この辺りから徐々に歩く人の姿が増える。
30km時点でも3時間を切っているので、そこそこのペースで走って来た人たちだ。
それでもやはり脚が止まる。
脚を引きずりながら道路脇へ逃げる人たちを見て、あれは2年前の僕だと思った。
悔しいだろうなと同情はするけれど、自分の脚でゴールを目指すしかないのだ。
33kmくらいだったか、一人のランナーが仰向けに倒れてピクリとも動かず、人だかりが出来ていた。
既に救急車の音も聞こえていたし、野次馬になるつもりはないので通過。
改めてこの競技の過酷さを痛感した。
僕も36km手前で致命的な痙攣が来た。
右脚のすねが攣り、脚が前に出なくなったのだ。
ふくらはぎは既に時々攣りはじめていたが、激しくなければ攣ったままでも走ることができる。
しかし、すねが攣ると脚が前に出ないので、どうやっても走れないのだ。
仕方がないので道路脇に逃げ、殴って刺激を与えると、痙攣が抜けた。
ここからは騙しながらのランが続き、走りながら尻や太ももを殴って刺激を与えることが多くなった。
残り5km、2年前に激しい痙攣に襲われ、しばらく動けなかった場所を通過。
歯を食いしばって痙攣に耐えている自

このページの先頭へ