ツール・ド・国東(第30回記念大会)に出場した

ロードバイクを買ってから、ぼんやりと考えていたことがある。
以前から名前だけは聞いていた「ツール・ド・国東」に出場してみたい。
調べてみると160km、いわゆるセンチュリーライド(100マイル)なので、本格的に自転車に乗り始めて2年目の僕の実力からすればギリギリかな?と思った。
そのことを友人に話すと、一緒に行こうと盛り上がり、そのままエントリーしてしまった。
さぁ、温かくなったらしっかり練習するぞと思っていたが、仕事が異様に厳しくなり、さらに2月末には腰のヘルニアで入院してしまった。
左脚に麻痺が出て、寝返りさえ困難。
歩くなんて5mでも無理な状態で、3月は寝たきりの日々が続き、足腰がすっかり萎えてしまった。
大会1ヶ月前でも前屈みになることが難しく、重たいモノは全く持てない状態。
主治医の先生に相談すると、しばらく考えた後「自己判断で出られると思ったら出てもいいですよ」と言われた。
何とかリハビリしなければならないが、まだランニングは痛くてできないので、日々の通勤を徒歩にした。
往復で9km、1日約2時間の運動だ。
これで徐々に脚と腰回りの筋肉が戻ったように感じた。
もちろん、本調子ではないけれど。
自転車は4月の半ばに軽く40kmくらい走って、4月の終わりに80km走ってみた。
腰は何とか大丈夫。
これなら行けると判断し、大会の前日、大分へ向かった。
当日は朝6時に起き、前日の夜にコンビニで買ったおむすびと味噌汁をお腹に入れる。
自転車レースは長丁場なので、しっかり食べておかないとエネルギー切れが起きるのだ。
僕も一度経験したが、これはもの凄くツラい。
その時の反省もあり、背中のポケットには専用の補給食をたっぷり入れた。
一緒に出場したのは、
むさしさん:http://twitter.com/#!/634co
の2人。
受付をして初めて発覚したのだけど、今年から全員同時のパレードスタートではなく、3回に分かれての時間差スタートになっていた。
僕とネコ吉さんは幸い第1グループだけど、むさしさんは我々の30分後にスタートする第3グループ。
30分も時間差があれば10km〜15kmの差がつく。
頑張って追いついてねと言いながら、こりゃ厳しいなぁと思っていた。
スタートしてすぐに僕はネコ吉さんの後ろに入る。
今回は僕が病み上がりなので、ネコ吉さんがサポートを買って出てくれたのだ。
ロードバイクに乗っている人なら誰でも知っていることだが、人の後ろを走ると本当に楽。
特に向かい風では疲れ方が全く違うのだ。
スタートしてすぐに山の中に入る。
ちょっとした坂をダラダラ登って一気に下り、次の坂を登ってまた下るの繰り返し。
一つ一つはそれほど急坂ではないけれど、常に登りか下りなので徐々に倦んでくる。
また、トンネルが多いのにも参った。
トンネル内の事故が多いと聞いていたので、最初から最後までテールランプを点滅させて走り続けたが、中には全く灯りのないトンネルもあり、一瞬だけど地面を見失ってしまった。
ヤバい!落車する!と思った後、再び地面が見えたので助かった。
登りでなければ時速30km以上で走っているため、落車すると自分のダメージも大きいが、後続車を巻き込む二次災害がもっと怖い。
おそらく何台も巻き込んだ大事故になってしまうだろう。
スタートから32kmで第一エイドがあり、水を補給してトイレを済ませる。
腰はまだ大丈夫だったし、天気予報ではにわか雨が降るとのことだったが、ぎりぎり雨は落ちていない状況だった。
52kmの第二エイドまでも山道で、ダラダラと登りと下りを繰り返す。
この辺りに激坂があると聞いていたが、まだそこまで酷い坂はなかった。
ただ、ネコ吉さんの登坂速度に付いて行けなくて、頂上で彼を何度か待たせてしまった。
登りはやはり腰にダメージがあるのだ。
70kmの第三エイドに着くと、梅干しと漬物の振る舞いがあり、これが滅法旨かった。
身体が塩分とクエン酸を欲しているのだろう、僕は梅干しを4つも食べ、漬物もバリバリ食べた。
ここでスタッフのおばちゃんが「梅干し食べて地獄の坂を登るんよ〜!」と教えてくれた。
途中の案内看板にも地獄の激坂と書いてあり、最大の難所であることが判る。
どんな坂なんだろうとドキドキしながら先へ進んだ。
エイドを出てすぐに1km以上の長い坂があり、確かにうんざりしたけれど、地獄と呼ぶほどではない。
インナーローでゆっくりと着実に登った。
すると、その先に「急な登り」という看板が出ている。
左折すると、おぉ!これまでで最大の斜度だ!と思える坂が出現した。
しかし、距離がかなり短くて、僕は頂上から先にもっと酷い坂が待っていると思って登ったが、あっさりと終わってしまった。
ネコ吉さんは「これが地獄の坂か?」と拍子抜けな様子。
確かに、しまなみ海道の因島の北側や大三島の西側に比べると全然楽。
本物の激坂は、下から見ただけで心が折れそうになるけれど、そんなレベルではないのだ。
一部の本気度が高い選手たちは坂道でもグイグイ飛ばしていたが、大部分の選手は平地でびゅんびゅん飛ばしている割には山道で遅い。
僕でも追い抜くことがあるくらいで、ネコ吉さん曰く「平地ばかりだから登りの練習が足りないのかもね」とのことだった。
93kmの第四エイドは昼ご飯で、両手に持ちきれないほどの料理が出た。
豚汁、たこ焼き2個、バナナ1本、イチゴ6個、鶏の唐揚げ1個、切り干し大根、ヒジキ煮、漬物、おむすび3個、パン1個という内容。
煮物や味噌汁の味付けが濃すぎるのには参ったが、パン以外は全部食べた。
パンはビニール袋に入っていたので、そのままスタッフに返した。
ここで50分くらい休憩したのかな。
むさしさんを待っていたが来ないので、先に出発してしまった。
あとから話を聞くと、むさしさんが到着した頃には豚汁、たこ焼き、おむすび、イチゴくらいしかなくて、しかも「早く食べないと足切りです
よ!」と急かされたらしい。
30回も開催しているのに、ちょっとこれは稚拙だ。
第四エイドを出て、制限時間の8時間には何とか間に合いそうだなと思いながら走っていると、登り坂の手前でネコ吉さんのチェーンが外れた。
僕もコースアウトして、大丈夫?と声をかけながら、すぐに直ると思った。
チェーンが外れたくらいなら3分もあれば十分だ。
しかし、フロントギアとフレームの間にチェーンが落ちてしまい、どうやっても元に戻らなかった。
仕方がないので後輪を外し、本格的に直そうとするがどうやっても引っかかって抜けない。
新品のバイクなので、何とか傷をつけずに直そうとするが、何度やっても無理だった。
こういう時のためにメカニックが走っているのではないか?と待ってみても、全くやってこない。
どうやらこの大会では、そういうサポートは行われていないようだ。
ネコ吉さんが購入した自転車店に電話したが店休日。
僕が買った自転車店に電話しようとするが登録していなくて、タウンページで探しても電話番号が出ない。
僕がもう1台の自転車を東急ハンズで買っていたので電話すると、店長の瀧川さんが電話に出てくれ、事情を説明するとすぐに理解し「力技で引っこ抜くしかない」と断言してくれた。
ちょうどその時、手伝ってくれた見ず知らずの選手が同じ助言をしてくれたので、ギアを回しながら無理矢理チェーンを引き抜いた。
何とか復旧し、レースに戻ろうとすると、むさしさんが追い付き「どしたんや?」と止まってくれた。
この頃から雨が酷くなったが、3人揃って隊列を組んで進もうとすると、むさしさんはもう脚が動かんと歩き始めた。
僕とネコ吉さんはまだ余力があるので、取りあえず次のエイドまでと思って先を急いだ。
132kmの第五エイドに到着した頃は雨が激しくなっており、運動を止めると身体が冷える。
それじゃなくても雨の日は腰が痛むのに、レース後半ということもあり、僕の身体も結構キツかった。
しばらくむさしさんを待ったが来ないし、ここから時速30km以上で巡航すれば、門限の17時に間に合うと判ったので、最後の力を振り絞ってペダルを踏んだ。
最後なので平地は30km以上のペースで飛ばし、前を行く選手を次々に抜いた。
メカトラブルの30分で、自分たちと同じレベルの選手は先に進んでしまったのだ。
雨は本降りになり、僕はネコ吉さんの自転車が跳ね上げる泥飛沫を全身に浴びた。
背中は自分の自転車の泥飛沫を浴びており、全身ドロドロ。
シューズの中まで水浸しになり、ぐちゅぐちゅして気持ち悪いし、視界が悪くて前が見えない。
僕は大会前に高性能サングラスを買っていたので、何とか無事に走ることができたけれど、そうでなければ眼に雨や泥が入って走れなくなっていただろう。
残り5kmの看板を見た後は、さらにペースを上げたが、ゴールしたのは17時を2分過ぎていた。
トータルでは8時間10分。
ネコ吉さんはメカトラブルがなければと悔やみ、僕に申し訳ないと言ってくれたが、僕は彼に最初から最後まで引っ張ってもらったから完走できたのだ。
トラブルなんて誰に起きるか判らないのだし、それらを全部含めてレースだと思う。
むさしさんも我々に遅れること10分ほどで無事ゴール。
ゴールの余韻に浸る暇もなく、とにかく寒くて寒くて震えが止まらないので、駐車場へ移動した。
実はスタートとゴールが6kmも離れており、ゴール後さらに6km走らなければ帰られない仕掛けになっているのだ。
震えながら駐車場に辿り着き、かじかむ手で前後輪を外し、ざっと雑巾で掃除して車に積み込んだ。
この時が最もツラかった。
疲労に加えて身体が芯まで冷えており、口を開くのも億劫なほど。
何とか宿へ辿り着き、着替えを掴むと直ちに風呂へ飛び込んだ。
その後はドロドロのウェアを洗濯して部屋に干し、晩ご飯を食べに出かけた。
この日の状況はツイッターに随時投稿したので、写真付きでご覧いただける。
走ってみて思ったのは、広島に住んでいる我々が普段走っている、しまなみ海道やとびしま海道は、本当に素晴らしいコースだということ。
起伏に富んだコースといい、景色の美しさといい、本当に恵まれたコースだ。
昨年出場した「しまなみアイランドライド2010」や「安芸灘とびしま海道オレンジライド2010」の大会運営も素晴らしい。
僕だけでなく、ネコ吉さんやむさしさんもそうだけど「ツール・ド・国東」は歴史のある大会だから、もっと大きなお祭りだと思っていたのだ。
しかし、メカニックもいないし、ショップの出店もない。
スタートは地味だし、ゴールは拍子抜けするほど呆気ない。
ゴール前の盛り上がりがなくて、あれ?ゴールなの?という感じなのだ。
さらにゴールした後もカボスジュース1本で終了。
マラソン大会も含めて、これほどあっさりした大会運営は初めてだった。
ただし、エイドの食糧はとても充実していて、バナナなどは常に置いてあったし、最後まで補給食で困ることはなかった。
これが「おせったい」と呼ばれる、この大会の特徴だと思った。
ただ、あとのことを考えずに接待してくれるためか、むさしさんは「俺、バナナは1本しか喰えんかったよ」とぼやいてたが。
さらに後日談があり、広島に帰って自転車を降ろしていると、僕の自転車の後輪がパンクしていたのだ。
いわゆるスローパンクチャーというヤツで、おそらくレースの後半には徐々に空気が抜けていたと思われる。
もし、ゴール直前でパンク修理をやらなければならない状況になっていたと思うと、考えただけでゾッとする。
時間もロスだし、雨中で手がかじかんで動かないから、大変な作業になっていただろう。
ゴール後だとしても、冷えきって震えながらの作業になることは変わらないのだから、駐車場まで自走できたのは本当に幸運だった。
こうして僕の初センチュリーライドは終了した。
腰へのダメージも思った以上になかったので、これからまた本格的に練習する予定。
次の目標は、9月18日(日)の「しまなみアイランドライド2011」だ。

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