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  • はじめに
    初めまして。「快食.com」ウェブマスターのシャオヘイです(写真はこちら)。 このサイトは旅行記の一部と掲示版を除き、シャオヘイ個人により運営されています。 メインコンテンツである飲食店評価については、100%シャオヘイによるものです。 メールや掲示板で「良くなった。」「悪くなった。」と言われても、僕自身がそう思わなければ、評価は修正しないことにしております。 メールを交わしていたり、実際に会ったりすると「もっとおっさんかと思っていた。」と言われるのですが、2002年で33歳になります。 今までに様々な質問をいただきましたので、それに応える形で、このサイトの性質を書き表したいと思います。

  • 盲信は危険です
    先に述べましたように、このサイトはあくまで個人が運営しているサイトです。 ごく稀に「シャオヘイは嘘つきだ。信じていたのに裏切られた。」という人がいますが、他者の意見を鵜呑みにし、自分で責任を持って考察することなく、一方的な「信頼」を寄せることには、飲食店の選択という目先の用件だけでなく、人生を生きる姿勢においても、大きな問題があると僕は感じます。 「評価」というのは、小説に対するものであれ、料理に対するものであれ、その他のものごとに対することであれ、「信じる」ものではなく「参考にする」ものです。 もし、ある人物を無条件に信じ、その過程で自らの思考を停滞させ、特定の者の意見を無批判に受け入れるというのであれば、それはまるである種の宗教のようです。 僕は「広島快食案内教」という宗教をやりたいのではありません。 旨い、旨くないという、とても主観的なものを評価しているのですから、舌の好みが合わないのは当然です。 他者との好みの違いを楽しみつつ、より自分が楽しむための情報収集の場としてご利用いただければ幸いです。

  • 営業妨害にはならない?
    こういうご意見をごく稀に受けることがあります。 しかし、長い批評の歴史がある書評の世界では「書評家が悪く書いたから、本が売れなかった。」という指摘は行われません。 それは書評家の必要性や存在意義が社会的に認知されているからだと思います。 かえって飲食店業の世界では「評価する」ということが、これまでにほとんど行われておらず、せいぜい口コミで噂が伝わる程度でした。 しかし今後は、東京において「サガットサーベイ」が発売されたように、個人によるウェッブサイトだけではなく、より大掛かりに、フランスの「ミシュランガイド」のように、書籍として評価本が発売されるようになると思います。 むしろ、小説や絵画同様に、これまで評価の対象になるのが当然であったものが、いまさらやっと行われつつあるのだと思うのです。 また、インターネット上には僕のサイトに限らず、多くの飲食店情報サイトが溢れています。 飲食店でも公式サイトを設置しておられるところは多いですし、どの情報をどのように分析し、自分なりの判断をくだすのかは、受け手の「情報取捨選択能力」の問題になってきます。 そういう状況の中では、誹謗中傷ならまだしも「批評をしたから営業妨害」というレベルの問題は成り立たないと考えます。

  • 良い評価だけ載せては?
    これも今までに数回いただいた質問なのですが、公道に看板を掲げて不特定多数を相手にしている以上、良い悪いを含めて評価されるのは当然だと僕は思います。 そして、顧客や周囲から評価を下されるのは飲食店だけではなく、医者でも、政治家でも、画家でも、サラリーマンでも、理容師でも同じです。 僕は「店の評価は人事評価と同様である。」と考えています。 A氏にとってC氏は高い評価を受けているが、B氏にとってC氏の評価は低いということが往々にしてあります。 人が人を評価するとはそのようなものです。飲食店の評価も同様です。僕が低い評価をくだしたからといって、全ての人にとってその店の評価が低いわけではありません。 ただし、多くの人が好む店にはより多くの人が好む要素があり、その逆の傾向もまたあるとは思います。 そして、僕たちサラリーマンも、きびしい競争社会にさらされながら、それでも仕事の成果をあげようとしています。 その時に「予算がないから」「スタッフが揃ってないから」といった言い訳は斟酌されません。 結果としてどれだけの仕事をしたかによって評価されるのが一般的です。 皆、評価の対象者として世の中を生きているのです。 そして、その評価が的外れであろうとも、評価される側に知らされることはありません。 僕はサラリーマンですが、上司や管理部門にいる人、また人事を担当している顔も知らない人たちが、僕の仕事ぶりをどのように評価しているのか、その評価表を見せてもらったことなんか、当然のことですが、一度もありません。 そういう観点からしても「良い評価だけ載せればよい」という主張は「やや甘い」ように感じます。

  • このサイトって役に立つの?
    役に立つ、立たないは情報の受け取り手が決めてくださることですが、僕は少なくとも「食べる」ということについて真剣に考えるきっかけにはなるのではないか?と考えています。 いろんな人の意見を聞き、考察することは、ただ、そのこと自体に大きな意味があります。 思索の内容に関わらず、自分の頭で、柔軟に、フレキシブルに、継続して、「考える」ことこそが大切なのだ、と僕は考えるのです。 「このくらいで止めておこう。」「そこまで考えなくてもいいのではないか。」などと思わず「それでも考える」ことが重要です。 前へ前へ思考を前進させ、その考えが間違っていることに気付いたら「誰かに言われたから」ではなく、自分の責任において方向修正することです。 そしてそれが、皆が1日に2〜3回食べる食事に関わることであれば、誰でも参加できるでしょ? そのようにして多くの人が、他者の意見を鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えた、自分の意見としてものごとを考察することは、 それがどのような物事であろうと、進歩の糧となることはあっても、最終的には僕たちを後退させるものではないと考えます。

  • 何回食べて評価を書くの?
    僕は1回の訪問で評価を書くことが多いです。 ですが、複数回訪問の上、評価をくだす方がより正確であろうことは十分承知しております。 しかし、5回行けば、その店についての正当な評価がくだせるのでしょうか? 僕が5回行って良かったからといって、見ず知らずの誰かが訪れた時に同様のクォリティであるとは限らないのではないか、というのが僕の主張です。 もしも僕が100回訪問して評価を書いたとしても、自分以外の誰かが訪れたときにどうであるかは必ずしも保証できません。 それどころか、僕は、一期一会で評価することは、その店のスタッフに「プロフェッショナル」としての敬意をはらっているのと同義であると考えています。 初回に満足させなければ、次回がないのはプロとして自明の理です。 常に100%の対応ができないのは、当然ですが、飲食店というのは(まぁどんな職種でもだけど)、その可能性を高める努力を常に求められていると僕は思うのです。

  • 好き嫌いはある?
    食べ物に対する偏見はほとんどなく、基本的には何でも食べますが、マヨネーズやケチャップが大量に使ってある料理、化学調味料過多の料理は苦手です。 どちらかというと素材重視で、手をかけて元より不味くなっていたりしたものは嫌いです。 良い素材の持ち味を生かして作られた料理には、技巧を超えた妙味があると思うのです。 料理とは「理(ことわり)を料る(はかる)」と書きます。 料理には調理者の考えが反映されているのだ、と僕は考えるのです。

  • 得意不得意は?
    もっとも得意なのは中国料理です。たぶん。 日本料理、フランス料理、イタリア料理とも真に最高のものは食べたことがないので、正直なところ頂上は解りません。 ラーメン、うどん、蕎麦などの1品ものはかなり食べ歩いてはいます。 ただ、うどん一つとってみても、大阪のうどん、博多のうどん(うろん)、京都のうどん、讃岐うどん、きしめん、氷見うどん、稲庭うどん、伊勢うどんでは別々の料理のように哲学が異なります。 色々食べてみたけれど、突き詰めたところはうどん単品ですら理解しきれておりません。 そうすると「判ってもない奴が評価なんかできるのか?」という疑問が当然出てくると思います。 しかし、そんなこと言ってたら誰も何も評価なんかできません。 現代の富と流通をもってしても、世界中の味を堪能することはできないのですから、あくまで、その時点の僕が感じたことを書いているのだということを覚えておいてください。 僕も少しずつは進化しているので、過去の評価と現在の評価を比べると、少しずつ齟齬が出てきているかもしれません。 あくまで、訪店時の評価である、と考えてください。

  • プレゼンテーション
    「いくら努力しても客が判ってくれないんだよ。」という嘆きが料理人の方からあるかもしれません。 確かに、バイトに毛が生えた程度の若造が、思いつきで作ったような「創作料理」を掲げて人気店になっているのを見ると、そう嘆きたくなる気持ちも判ります。 しかし、自分の努力を判らせる努力をしておられるでしょうか? 今どき「食べて判らないような客は、来てくれなくてもいい。」と言える店は多くないはず。 これだけ情報があふれてくると「客に説明して判らせる。」というプレゼンテーションの能力が求められているのだと思うのです。 これはからは、ただ小馬鹿にしたり、嘆いたりするのではなく、説明して判らせなければ料理人の仕事は成り立たないと僕は考えます。 それは僕たちサラリーマンが、顧客に対してプレゼンテーションするのと同じことです。 顧客から対価と満足を得なければならないのであれば、作品(料理)だけでなく、その前段階であるプレゼンにも注力するのは当然の責務です。 「客」が判っていないだけではなく「客」に判らせていない店側にも問題があると思います。

  • 好きなこと
    僕の一番の趣味は食べ歩きではなく、料理を作ることかも知れません。 どんなものでもいいから、何かを作るのは大好きです。 仕事が行き詰まっている時に、家で料理を作るとホッとします。 僕の仕事だけに限らず、一般的に仕事というのはクリエイティブなものばかりではないはず。 その中で日々過ごしていると、何でもいいから自分の手で作ってみたいという欲求に駆られませんか? 僕はそんなときに料理を作ります。 肉体的にではなく、精神的にとても癒されるのです。 ましてや日々の食べ歩きの経験を活かして旨いものができたら、ますます鼻高々になって、癒されるというものです。 ほかには、内外の市場歩きとか、活字を読むのが好きです(あ、書くことも好きか?)。

  • 嫌いなこと
    一般的な話題についていけないほど、テレビを観ません。 興味の対象が多いので、いろいろやっていたら、観る暇がないのと、テレビの前に座って消極的に情報を受けとるのが僕の好みではないためです。 それよりは本を読んだり、ネットサーフィンしたりして積極的に情報を探して得たほうが身になる、と僕は考えているのです。 他に嫌いなことといえば・・・洗濯でしょうか(笑)。 家事はほぼ何でもやりますが、どうも洗濯だけは苦手です。 僕が洗濯をすると、なんでもかんでも一緒に洗ってしまうので、妻から怒られます。

  • 嫌いな言葉
    僕がかなり嫌いな言葉に「こだわり」という言葉があります。 マスメディアでは、食べ物を語る際に枕言葉のように使われていますが、意味を理解して使っているのかな?と不思議な気持ちになります。 料理人として、何かにこだわるというのは、悪徳でこそあれ美徳では決してないはずです。 料理人が考えるべきことは「料理をいかに旨く、楽しく食べさせ、かつ健康に寄与できるか」ということに尽きます。 大切なのは食べる人や料理そのものであって、素材や料理法ではないのです。 料理や調理過程において「こうでなくてはならない。」という一心に凝り固まっていると、思考が硬直してしまい、それ以上の発展が望めなくなってしまいます。 どんなに完璧に思える料理でも、どこかに改善点があるに違いないと考える、その柔軟な思想から素晴らしい料理が生まれるのだと僕は考えます。 そういう料理に「こだわり」という言葉はそぐいませんよね。 「こだわる」とは、拘泥することです。 「拘泥する」とは「ひとつの方法又は価値観に縛られて、それ以外のものを尊重できない状態」を指します。 僕なら自分の料理にそんな言葉を使われたら、ちょっと、というか大いに「?」だけどなぁ。 なぜか世にはびこっているので不思議なのです。

  • シャオヘイの職業や本名は?
    「ホームページの作者は、ハンドルネームではなく本名を記載すべきである」という論争があるのを御存知ですか? 実は僕もその意見に賛成です。 発言者の責任の所在がはっきりしてこそ、発言の内容に厚みがでると思います。 しかし、僕はホームページで本名を明らかにしていません。 何度もメールをくださった方で、先方が本名を明かしてくださっていれば、僕も名乗るように心がけてはいますが、基本的にハンドルネームだけで接しています。 その理由は、僕の職業にあります。 ちょっと細かいことにうるさいところなので、上司によっては「そんなサイトは止めろ!」と言いかねないのです。 (上司にもそんな権限はありはしないが、僕だってそんなことを言われると困る。) この場で僕が職業と本名を明らかにすれば、いつか不本意な形でこのサイトが終了する恐れがあります。 なお、このサイトはほぼ完全に自宅のパソコンで作っています。 勤務先に迷惑をかけているつもりは一切ありませんが、いろんな上司がいますから、悪しからずご了承ください。 今後も本名や職業を明かさないのは、アンフェアだと気持ちをいくらかは思っています。 しかし、本名や職業を公開したとしても、メールや掲示板の意見に対して返事を書かない、またはむやみに敵対する、という状態では公開していてもあまり意味がありません。 今後とも本名や職業は公開しませんが、これまでに、ご意見、ご感想には常に僕なりの誠意をもって回答してきましたし、これからもそれは変わりません。

  • 評価基準
    このサイトでは、多くのお店を紹介している訳ですが、どんな基準で選んでいるのかを書いておく必要があると思います。 それというのもAにとっては極めて旨い料理が、Bにとっては極めて不味であることが、しばしば起こり得るからです(とはいえ、旨いと評判の店は、やはり旨いことが多く、味覚の公約数というものはあると思いますが・・・)。 以下の4点が大まかな評価基準です。

  • 料理の独自性
    それなりに旨いんだけれど、なんかどこかで食べたことがあるような、決して不味くはないんだけれど、抜群に旨くはないという料理は面白くないし、高い評価はしていません。 しかし逆に、僕の好みではなくても、味的に一定の評価ができ、他店との差別化を図っている店は高く評価しています。 例え「朱華園」のラーメンが旨いとて、「朱華園」の味と同じものを出したのでは面白くないし、食文化の発展に寄与しない、ということです。 やはり「攻めの姿勢」というのは良い飲食店の基本だと思います。 無闇矢鱈に変わった味を提供しろというのではなく、素材の声を聞いたり、組み合わせや調理の妙を重視してほしいのです。 ですから、伝統を守っている店でも改良できるところは改良すべき、と僕は考えます。 昔の味にしがみついてるだけのお店や、流行だけで売ろうとしている店には、比較的厳しい評価になりがちです。

  • 費用対効果
    これは大切です。いくら旨いものを出しても、内容に比して、値段が高いとリピートしないからです。 店には店の都合(家賃が上がったとか、借金しているとか)があるだろうけれど、客にはそんなこと関係ないし、それを客に対して言ってはいけません。 値上げする時は、税金や、材料の上がり幅くらいにしておいてほしいです。 あ、ちなみに税金を滞納していたり、修正申告されたりしたような、反社会的な店も厳しく見ています。 (それを言うならあの店は・・・もう世代交代したからね。)

  • サービスの質
    飲食店というのは、サービス業である以上、当然です。 味が良くても、快適な食事ができなければ、再訪はしませんし、僕の評価も低くなります。 長く同じ仕事をしていると、慣れてきて気が付かなくなるのでしょうが、客が逃げてからでは遅いです。 客としても、味の良いお店が潰れるのを見るのは寂しいものです。 また、近年増えている「ノリだけが良い店」とか「オシャレだけど商品知識を持たないバイトがいる店」の評価も低いです。 サービスってのはそれそのものにプロがいるほどに難しいものですが、バイトだからって易きに流れてはいけません。 不快な思いをしたならば、その相手がバイトであるか、店主であるかに関わらず、客は再訪意欲を失います。

  • 清潔さ
    「汚れていて、不潔な店こそ美味しいんだよね。」という、信じられないようなことを言う人がいます。 確かに、汚くて旨い店もありますが、それは数少ない例外です。 「汚れている(=p)ならば旨い(=q)」という事柄を成立させるためには、必要十分条件が真であるべきでしょうが、必要条件も十分条件も成り立たないと僕は思います。 普通、料理に気を使っている店では、店内も清潔なものです。 もし、客のみならず店主まで「不潔なればこそ味が良い」などという俗信に便乗し、飲食店としての清潔と衛生を意図的におろそかにし、サービス業にあるまじき傲岸不遜な態度で客を踏みにじるようであれば、それは提供する料理に対しても同様であるとしか思えないのです。 それ以上の「店が新しい」「生花がキレイ」「建物が立派」などの付加価値は、値段に付加価値分をプラスされる要因になるし、店主の努力では難しいこともあるので、僕はあまり評価対象にしていません。

  • 星の質
    「ラーメン店で星3つの店に行ったときには大満足だったのに、フランス料理店での星3つに行ったら同じだけの満足は得られなかった。どうしてくれる?」という指摘があるかもしれません。 各料理カテゴリーの評価は相対評価となっております。 ラーメン店の満足とフランス料理店のTPOは異なりますし、満足の性質も違いますから、比べてもらっては困ります。 清潔さにしても、七輪の炭焼きをウリにしている焼肉店と、優雅さをウリにしているフランス料理店では、同様の基準では評価しておりません。

  • 常連だけのサービスは評価外
    「実はこの店、常連になれば4つ星なんだがな・・・」という店も初めての客が居づらいようなら、星の数を減じます。 だから、僕の行きつけの店でも星1つにしたりしています。 僕は「常連だけのサービス」ってあまり好みませんし、そういうことが多い店も好みません。 常連が発する排他的な雰囲気、店のオーナーでもないのに「俺の店」扱いする勘違いした態度、店主に無理を言うことが常連の特権だと思っている意識の低さ、それら全てが嫌いです。 良い常連というのは決してそういう態度をとりません。 そういう良い常連が多い店は排他的な雰囲気にはなりませんし、当然、これみよがしな特別サービスもないのが普通です。 そして、それら常連のワガママを放置するどころか、増長している店には良い印象を持ちません。 また、そういう店には新しい客が来なくなるので、店にとっても良くないことであると思います。

  • 客にも一言
    僕は色々なところへ食べに行きますが、店の人に腹が立つよりも、客に対して腹が立つことが多いです。 基本的に店に対して厳しいことを言っていますが、店が良い店になるべく努力しているのであれば、客は良い客となるべく努力することも必要だと感じています。 安直に良いと言われる店を渡り歩き、無神経にサービスを享受し、料理と料理人に敬意をはらわず、店主のヤル気を消耗するのではなく、その店を育ててゆくような心を持ちましょう。 良いサービスを受けたときは素直に「素晴らしいサービスですね。ありがとう。」と言い、料理が旨ければ「ごちそうさま。すごく旨かったです。」と伝えましょう。 客だから何をしても良い、何を言っても良いのではありません。 明らかに不当な要求をしたり、必要以上にミスをあげつらったりするのはやめましょう。 昔から「客が店を育てる」と言います。 良い客が増えれば、それに比例して良い店も増えるに違いありません。 「良い飲食店がない。」と批判するのであれば、同時に良い客になる努力もしなければならないと思うのです。

  • もう一言
    このサイトは癖が強いので、合う合わないの個人差は大きいと思います。 でも、僕はそれで良いと思うし、そういうものが求められていると思っています。 口当たりの良いことが書いてあるガイドブックなら、本屋で購入してご覧戴ければよろしいかと思います。 僕は、辛口評価を望むなら、個人の思いが表面に出てきて然るべきと思うのです。 しかし「お前、偉そうだし、不遜なんだよ。」と感情的に気に入らない方はおられると思うし「そもそもお前が信用できない。」という方も当然おられると思います。 そういう時はインターネットウェッブサイトという玉石混淆の中の「石」に当たってしまった、と笑って許していただければ幸いです。 インターネットはブロードバンド時代を迎え、ますます発展するのは確実ですから、このようなサイトはさらに増加するでしょう。 それは僕も望んでいるところで、意見の食い違いを尊重しながら、様々な価値観を比較できてこそ面白いと思っています。 例えば、S.ISHIIさんが作られている「福山のラーメン」とはお互いにリンクを張っていますが、店によっては僕とS.ISHIIさんの評価はまるで違います。 でも、だからこそ面白いと思うのです。 このように比較検討できるサイトが増えると僕も勉強になり嬉しいです。

  • 日々努力しておられる飲食店の方へ
    このサイトをご覧くださった飲食店の方にお願いなんですが、プロである以上、正当な意見であれば受け入れてください。 むしろ、僕としてはより良いお店になってもらえればという好意からの意見なのです(大きなお世話だ?・・・(苦笑))。 このサイトの趣旨は、誹謗中傷の類にあるのではなく、良いお店という有益な情報の提供と、広島に住む僕たちの食生活の向上にあります。 また、このサイトを読んでお店に行ってみられた方も「良くなかったよ。」とか「改善されていたよ。」という情報をメールなり掲示板なりでいただけたら喜びです。




御意見、御感想はシャオヘイまで