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2004/11/21(日)
誕生日って
久しぶりに山岡酒造の「小童」を飲む。
今年の酒は出来ていないので、昨年の酒だが、やはり旨い。
亀の尾がどうのこうの以前に、この枯れた感じは好きだな。
ただし、望むべくは、もう少しすとんと落ちる感じがほしい。
少し舌や咽喉に引っかかる感じがあるのだ。
出来の良い年はこれがないんだけどな。今年の出来が楽しみだ。

ところで先日、僕は35歳の誕生日を迎えた。
何というか、妙に中途半端な誕生日だね。
最近は、歳を聞かれて「えーっと、何歳だっけ?」と思うことが多い。
34歳も35歳もほとんど変わらないから、自分の中でも細かいことは忘れてしまうのだ。

しかし、寿命が70歳とすれば、人生の折り返し地点を過ぎたわけだが、どうも実感が湧かない。
まぁ誰も、人生の終了なんて、いつになるのか読めないのだから、そんなものかもしれないな。
とまれ、自分の歳を数える暇があったら、年齢に応じた知識や経験を蓄積するために、前に進むための方法等を考えたほうが有益と思う。

僕に言わせれば、30歳過ぎたら年齢なんて気にするだけ時間の無駄。
もちろん、大まかには把握しておく必要があるけれど、年齢というメルクマールは、思索の立脚点にはなり得ないと思うので、適当に忘れても全然問題ないと思う。
むしろ、年齢を細かく言う人って、自意識過剰なのではないかとすら僕は思ったりする。

しかし、自分の大切な人が「あなたが今日まで生きていてくれたことと、今日まであなたが生きるために手助けしてくれた全ての人に感謝します」と言われると、やはり嬉しい。
そう、誕生日というのは、自分が喜ぶための日ではなく、自分の大切な人が喜んでくれる日なのだと思う。
だから、自分は忘れていても構わないのだ。
来年も同じことを言ってもらえるように、僕は今年も懸命に生きたいと思う。

写真は我が家に生えているヒメシャラと、先日、入手したユリの花。
ヒメシャラは美しく紅葉しているけれど、ユリは香りが強過ぎて、部屋から追い出され、ベランダで咲いていたりするのです。


2004/11/16(火)
広島市内を自転車で走りつつ思うこと
僕は自転車に乗る。
運動のためとか、小回りが効くとか、色々理由はあるけれど、広島市の中心付近をウロウロするには、自転車が大変便利と思うからだ。

しかし、自転車に乗っていると、歩行者が危ないなぁと思うことが多い。
もちろん、歩行者も自転車が危ないと思っているに違いない。

この考え方の違いはどこから来ているのか考えると、移動スピードの違いにほかならない。
自転車ではちょっと漕げば20kmくらいはすぐにでる。
歩行者は5〜6kmがせいぜいだから、4倍近い速度差があるのだ。
よって、時速30kmの車と、時速120kmの車が同じ道を走っているようなもので、路地と高速道路を比べるくらいの無理があるのだ。

こう考えると、本来であれば、自転車専用部分と、歩行者専用部分を分ける必要があるのではないかと僕は思う。
自転車は実に中途半端な乗り物で、時には自転車道兼歩道があり、歩道の脇に自転車道がついていることもあり、それらがなければ自動車道を走らなければならない。
しかし、自動車道を走るのは、命の危険を覚悟して走る必要がある。

なぜならば、自動車道の路肩には違法駐車が必ず停まっているためだ。
それを右側に避けようと思えば、危険を冒して道の真ん中へ出て行かなければならない。
順法者が命をかけなければならないのは、法治国家として問題があると思うので、この車道走行の部分については、何らかの改善が必要と思う。

そうなると、歩行者を避けながら自転車道(場合により歩行者兼用だったり、歩行者専用だったりする)を走るしかないのだ。
歩行者専用道路を自転車が走る際には、せいぜい遠慮するしかないのだが、兼用道路でも歩道一杯に歩行者が広がっていたり、歩きながら煙草を振り回す歩行者が多い。
僕は何度か、Gメン'75よろしく、自転車道兼歩道に6〜7名の男性が横一列に歩いているのに出くわし、ベルで警告したことがある。
彼らは非常に不満そうだったが、歩行者であれば何をしても良いのではないのだ。
#もちろん、その逆も然り。

では、広島市からは自転車を駆逐してしまえ、という意見もあるだろう。
兼用道路なんか止めてしまうのだ。
そうすれば、自転車は自動車道を走るしかない。
しかし、それはあまりにも浅はかだあろう。
自転車はエンジンを使わないエコロジカルな乗り物で、正しく使えば、様々な可能性を秘めた乗り物なのだ。
しかも、自転車の普及を進めたくても、街がそのように出来ていなくて、誰も自転車に乗ってくれないという街もあるのに、広島市の場合は、川と橋の多い街そのものが、自転車に都合良いため、皆が率先して自転車に乗っているのだ。
よって、もし自転車を駆逐すれば、それはそのまま街の活力を削ぐことになる。

僕はそれよりも、自転車と歩行者が共生できる街を目指すべきと思う。
街の特性を生かし、住民のニーズを汲み、どうしたら自転車と歩行者が共存できるのかを考える。

自転車道兼歩道の道路側を自転車が通り、反対側を歩行者が通るというマナーレベルの運動で効果があがるとは思えない。
それこそ、歩行者・自転車特区として申請してもいいと思う。

住民が必要と思い、便利と思うから自転車に乗っているのだ。
さらに、都心部への自家用車乗り入れ規制等と合わせて考えれば、自転車に税金をかけるなどして邪魔者扱いするのではなく(そういう街もある。目的税ならばアリと思うが)、適切かつ他都市の参考になるような方法を考え出してもらいたいと願うのだ。

自転車と歩行者がバッティングせず、お互いが快適に自らの運動速度で移動できる街というのは素晴らしいと思う。
何か良いアイデアはないものだろうか。

#写真はちょっとピンぼけだけどキリシマツツジ。
#本来の開花は5月なので(僕は5月病を癒す花だと思っている)、明らかに狂い咲きだ。


2004/11/13(土)
ビールと濃い味の深い関係
昨晩、上司達と飲みに行った。
料理は想像していたよりも悪くなかったが、調味料や塩の味が強い料理ばかりで、咽喉が乾いて困った。
咽喉が乾くのでビールの消費が早く、それほど食べていないのに何となく満腹感が来て箸が止まってしまったのだ。

なるほどな。そういう組み立ての料理群なのだ。
酒類は、飲食店にとってかなり利益率の高い提供物なので、そこから収益を上げるための料理なんだなと思った。

妻も同様に、上司達と飲みだったらしく、終了がほぼ同じだったので、合流して馴染みのバーで一杯飲んだ。
彼女も味の濃い料理だったようで、僕が料理を食べながら考えたことを披露すると、大いに賛同してくれた。

僕は塩の強い料理が低級で、薄味であるほど高級であるという、スノッブな人たちがまことしやかに述べている意見には組しないけれど、メリハリがなかったり、味付けに理由が感じられない料理は駄目だと思う。
濃い味があるから薄い味が引き立つし、その逆も然り。

素晴らしく旨いご飯は、そのままで食べても旨いけれど、塩むすびにすると、さらに旨いのと同じだ。
おむすびという料理の場合、舌に最初にあたる部分へ塩を強めに効かせるから、中のご飯には塩味がしなくても、単体でもの足りなさを感じないのだ。

しかし、ある程度の大きさのおむすびになると、バランス的に中心の部分、つまり最も表面の塩味から遠い部分に、何か塩味のものがほしくなるので、梅干などを仕込むのだ。
このように、おむすびにも味のつけ方に料理としての理(ことわり)があるのだけれど、そういうのが感じられない料理を出す店って多いよね、と妻と話した。

ちなみにそのバーでは、最初に出されるおしぼりから、石鹸の良い香りがする。
その匂いを嗅ぐと、心がほっと落ち着き、さぁ何を飲もうかな?という気にさせられるのだ。

そういえば、最近はおしぼりの臭い店が多いけれど、あれは初手から食欲を減退させられる。
どうやら一定比率で混入しているため、気を付けている店でも、繁忙時間中は、確認を怠ってそのまま出すことがあるらしい。
馴染みの店でそのことを指摘すると、まずは申し訳ないと頭を下げた後、気を付けてはいるが、なかなか難しい問題なのだと言われた。

しかし、中にはビニールに入ったままを出す店もあるので、そういう店では諦めるしかない。
ちょっと乱暴だが、おしぼりと付き出しを見れば、その店がどんな店なのか、概ね把握できるのではないかと思うのだ。


2004/11/13(土)
天気の良い休日の散歩
ほとんど運動らしい運動をしていないので、軽い腰痛になってしまった。
妻は妻で、がちがちの肩凝り。

天気が良いので、今日は少し歩いてみようと、二人で散歩に出かけた。
気温が低いので汗はかかないが、日差しが温かいので、しばらく歩いていると身体がポカポカしてくる。

気のせいかもしれないが、腰痛も少し軽くなったような気がするな。
夜は酒を飲まずに、ご飯を食べてみよう。
久しぶりにお風呂へお湯を溜めて、ゆっくり身体を温めてみよう。
その後はちょっとしっかりめのストレッチをしよう。
そうだ、その前に、部屋へ掃除機かけとかなきゃ。
いやいや、更新とメールの返事にも最低3時間くらいは時間を割きたいな。

とか、色々考えていると、本日のTo Do Listは増えるばかり。
休日って、ホント、時間の経つのが早いよね。

#写真はアスファルトの隙間に咲いていた路傍の花。
#種類は不明だけど、タンポポの仲間かな?


2004/11/10(水)
秋の夜長は寝惚けの季節
最近、寝惚けて書くことが多いので、サイトの古参読者から「とっとと寝ろ!」と温かい言葉をいただいた(笑)。

どうもねむいと僕は駄目だな。
全く使い物にならなくて、そのときどきに考えたことを、出来の悪いキュビズムのようにコラージュするため、何がなんだか判らない文章になるのだ。
その上、タイプミスというか、人差し指がホーム位置からずれていてもお構いなしにタイプするから、まるで暗号のような文章になる。

夜の3時から6時くらいまでにアクセスすると、そういう寝惚け文章が読めることがあるかもしれないので、請うご期待(←アホか)。
ほとんどの場合、朝起きたら「うわ、やっちゃってるよ」と思い、直すんだけどね。

さて、もう1時だし、寝惚ける前に寝るとしよう。

#写真は昼休憩に撮りました。秋ですね。


2004/11/09(火)
Time is money
数日前、白島の裏通りを通りかかると、団子汁と書かれたメニュー表示が目に付いた。
ほー、珍しいなと感じたので、昼に訪れてみた。

自転車を飛ばして、店への到着が12:16。
すぐに注文したが、前客二人の目の前に料理が出ていない。
どうやら年配の夫婦らしき二人で切り盛りしているようだが、動きが鈍い上に無駄な作業が多い。
これはやばい。もしかしたら食べられないかも?と悪い予感がしたが、何とか先の二人に料理が出たので、こちらも出るだろうと思ったら、それからまたしばらくかかった。

結局、提供されたのは12:44。入店から28分経過後だ。
大急ぎで、掻っ込むように食べ、店を出たのが12:51。
何とかぎりぎり午後のチャイムに間に合ったが、イライラした気持ちと、大急ぎで食べたため、軽い吐き気を伴う気持ちの悪い胃袋が残った。

コース料理を提供するのならまだしも、普通の定食を出すのであれば、10分〜15分がランチ時の提供時間の目安と思う。最大待って20分。
15分を超えるとと、もはや食事を楽しむというよりも、短時間でエネルギーを摂取するだけになる。
どんなに上等な食事を出されても、それを楽しむ心の余裕がなければ無価値なのだ。

仕事している者は時間で動いているので、時間厳守は最重要事項。
食事が済んでいようと済んでいまいと、時間になれば席に戻らなければならない。
そして、昼に食事ができなければ、夕方まで、忙しければ夜中まで何も食べられないこともあるのだ。

その店へ昼に訪れてしまった運の悪いサラリーマンは、昼食を食べ逃すか、午後の始業に遅刻するか、二つに一つ。
都市伝説的に語られるべき、街に実在する「罠」と指摘されても仕方がないだろう。

そういう目に一度でも合うと、弁当会社が配達してくれる弁当を、自分の席でゆっくり食べるのが一番だよ、という人が多いことにも納得する。
味的にも昨今の競争で良くなっているようだし、何よりも落ち着いて食べられるから、トータルではなかなか快適な食事なのだ。

そして、そのように、多くのサラリーマンが昼食時に街へ出ることを止めるようになれば、その街の昼食人口が減り、結果として店の数も減少することになる。

サラリーマンは安さだけで昼に弁当を食べているのではない。
ランチ営業を行っている店には、再度、提供時間について考え直すべきとと思うのだ。


2004/11/08(月)
カレーライスの哀しみ
今日の昼は居酒屋でカレーライスを食べた。

色んな店でカレーライスを出しているので、ときどき頼んでしまうのだが、専門店クラスの味を出してくれる店はほとんどない。
今日の店もそうであったように、概ね不自然に大袈裟な名前が付けてあるが、食べてみれば、どこかのおばちゃんが「私の作るカレーはおいしいんだから」と言って出してきそうな、家庭的というか、素人っぽいというか、カレーライスという料理の本質からは全く外れた料理であることが多い。

多くの人が勘違いしているが、カレーライスという料理は、時間をかければ旨くなるものではない。
玉ネギを2時間炒めたから旨いとか、奢ったダシを取ったから旨いとか、それはほとんど自己満足の世界。
味の決め手はスパイスの質と量と調合がメインだ。
そういうところに市販のルーや業務用調味料を使っていたのでは、旨いカレーライスは絶対にできない。

日本料理はダシの料理だけど、インド料理はスパイスの料理。
どんなに旨い素材を使っても、ダシを取らず、代わりに化学調味料をたっぷり使って味付けした日本料理が旨くないのと同じように、スパイスを省略したインド料理など旨いはずがない。
カレーライスのルーツはインド料理なので、その点は同じと思う。

むしろ、ダシで食べさせたいなら、ハヤシライスにしたほうがいいと僕は思うな。
最近、我が家ではラーダカレーにハマっていることもあるけれど、いくら居酒屋の手慰みでも、いくらバーのお遊びでも、厳しいことを言えば、ラーダカレー以下はダメと思う(ちょっとハードル高すぎか)。
家庭でも簡単に作られる料理だからこそ、旨い家庭料理ではなく、ちゃんと料理店にしか出来ない、プロの味を提供してほしいと思うのだ。

#最近では「ケルティック」というアイリッシュパブが昼に出しているカレーライスが旨かった。


2004/11/06(土)
街にも秋の訪れ
紅葉の真っ只中なので、紅葉狩りに出かけた人も多かっただろう。
台風の影響があるだろうが、天気が良いので何よりだ。

僕たちも色付いた山々を見に行きたいと思いつつ、やらねばならぬことが多いため断念。
それどころか、買い物にでかけた時、妻から、

「あ、そういえば、行きたいところがあるのよ。
 来週の仕事を進める上で、どうしても見ておかなきゃいけないんだけど、出張する暇がないのよね。
 ちょっと車で連れて行ってくれない?」

と言われる始末。

現地で「あ、ここの写真撮っておいて。あ、あれもよろしく」とカメラマンをやっているとき、ふと見ると、綺麗に紅葉したイチョウがあった。
山に行かなくても、秋の訪れは感じられるなぁと嬉しくなったので、ついでに撮ってみたのだ。


2004/11/06(金)
「本州一」修業組?
今日は白島の「再々来」という店でサービスランチを食べた。

そういえば、その手前にあった「寿司富」という店は、しばらく休業したと思ったら、閉店して別の店が出来つつあるようだった。
古い仕事がされていそうな店だったので、いつか訪れたいと思っていたのに残念。
それともう一店、店内で犬だったか、猫だったかを飼っていたユニークな店も閉店して、新しい店ができていた。
新しい店が良い店だったら嬉しいけれど、悲喜交々だな。

そうそう、この「再々来」のメニューを見て感じたが、もしかして「本州一」修業組ではないか。
大衆的な食堂系中国料理店では、時々そういう店に出会う。
牛田の「万来」でも同じことを感じた覚えがある。
冷麺で有名な海田の「東泉」も「本州一」出身のようだし、広島市内でも歴史ある店なので、意外と出身者が多いのかもしれないなぁ。>本州一


2004/11/04(木)
文化財とお茶と食べ歩きの共通点
先日、石が専門の人の話を聞いた。
その人は石が好きで、発掘された石を見れば、いつの時代の石だとか、人の手が入っている石だとか、そういう石の履歴が判るらしい。

へぇ。いろんな才能があるんだなと聞いたが、興味深かったのはその次の話。
「きっと、○○地域には埋蔵文化財がたくさんあるんですね」と言うとそうではないらしい。
文化財というのは、どこにでも埋まっているものだけど、その地域にファンというか、オタクというか、とにかく文化財好きな人たちが多い地域が、一般的に言われる、文化財の多い地域になるるのこと。
要は、文化財がない地域は(過多の差はあれど)探してないだけなのだ。

逆に言えば、地元を愛して、じっくり発掘している人が多い地域ほど、埋蔵文化財的な文化度は高くなるとのこと。

それって、同じことが飲食店にも当てはまるのではないか。
文化財と同じで、価値が判らない人には、路傍の石にしか見えない店が、好きな人が見れば素晴らしい履歴と実力を兼ね揃えている店かもしれないのだ。

妻に言わせると、お茶の世界も同じようなところがあるらしい。
文化財の世界も、お茶の世界も、食べ歩きの世界も(←そんな世界ってあるのか)、共通点があるんだなと感じたのだ。

#写真は我が家で咲いているフジバカマ。


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