TOP

Log7

2004/10/09(土)
至誠天に通ず
紅茶を片手に、本を読みながら、音楽を流していたが平井堅の「Ken's Bar」を聴き始めると、本を置いてしまった。

真面目に、丁寧に、一つ一つの言葉を紡ぎだすような、彼の真摯な歌声と、高い技術に意識が移ってしまい、本を読みながら聴くことが出来なくなったのだ。

そう、ときにこんな料理に出会うことがある。
腕の良い料理人が心をこめて作った料理には、お喋りを止めさせる力がある。
何か他のことををしながら食べることができない。
そんな料理が確かにあるのだ。

ただし、それは、客を個体認識していなければ難しい作業と思う。
対象であるその人でなければ届かない料理なのだ。
音楽と料理の大きな違いはそこにある。

数カ月前、あるレストランで妻と食事したとき、途中で「あ、この料理は僕のために作っているのではなくて、妻のために作っているな」と判ったことがあった。
彼女はそのシェフの愛情に気付くだろうか?と黙っていたが、ちゃんと途中で気付き、しばらく呆気にとられた後、泣きそうになったのだ。

このアルバムを聴いていて、そんな出来事を思い出した。
音楽と料理。分野は違うけれど、至誠は天に通じるのだ。

タイトル通り、バーに居るような気分にさせてくれるのもいい。
今日は体調が優れないので、酒は飲まないが、次はウイスキーを飲みながら聴きたいな。

さて、今日は早く寝ようと思っていたのに、予想外に遅くなってしまったぞ。
もう寝なくちゃ。


2004/10/09(土)
生産的な活動を何もしない一日
結局、今週も水曜日で更新がストップしてしまったな。

拙い事にここしばらく、身体のあちこちに不調が出てきて困っている。
若いときはもっとタフだった、というよりも、若いときはストレスを外に出して、発散させていたが、年を重ねると色々なものが見えてくるから、昔のように怒りに任せて発散はできなくなったのだ。
結局、腹の底に溜め込むのだが、今回は少々溜めたものを抜くタイミングを逸していたようだ。

さて、というわけで今日は一日自宅でゆっくり。
朝から紅茶を淹れて、平日は聴けない音楽をゆっくり聴く。
夕食は、昼から戻していた貝柱を使い、鰹出汁などと合わせて簡単なスープを作った。
ひどく疲れたときは水分の補給と、身体を暖めるのが大事なのだ。

他にはひよこ豆のラーダカレーを作ったが、これは明日食べる。
「アバンセ」で売られていたので始めて使ってみたが、これはなかなか気に入った。
地元の人がやっているので、贔屓も少しは入るけれど、ルーを使ったカレーが嫌いな僕にとって、とても好みに合う。
最初に少しオリーブオイルを使ったが、それ以外の油脂はなし。
小麦粉の類も使わなかった。
同封されているのは混合スパイスのみ。
クミンがばしっと効いて、漢方薬っぽい風味が強い。
僕は自分の好みでアジョワンを加えたけれど、レシピそのままで充分旨いカレーだった。

しかし、この味はご飯にかけるよりも、そのまま食べるかパンに添えたほうが合うと思うな。
僕は指定してあるように塩を使わず、ほぼ無塩で作ったので、余計にそうなったのかもしれないが。
何はともあれ、明日が楽しみだ。
#なぜ、調子が悪いのにカレーなんか食べるんだ?という人のために申し添えると、カレーの香辛料は漢方薬に近いのです。
#特にアジョワンには強い整腸作用があると言われています。

ちなみに写真は一週間前に撮った桜の枝。
台風の影響により、あちこちで木々の調子が乱れているようで、新芽を出す木もあれば、桜のように狂い咲きしているものもある。

桜よ。まだ春には早いぞ。
これから冬が来るのだから、体力は温存しておけよ。

という訳で、僕もそろそろ寝床に入ります。
読めなかった本を枕元に積んで、眠くなるまでゆっくりと読み耽ることにします。


2004/10/06(水)
好循環は最大の財産だ
今日は22時過ぎて急に腹が減ったので22時30分には仕事を止めた。
連日、夜が遅いので、昼にしっかり食べるように心掛けているが、やはり22時過ぎると保てないね。

さて、今日の夕食は老舗のおむすびとか、雑炊を出す店だった。
一度訪れてみたいと思っていたのだ。

しかし、内容に比して料理がお粗末。
費用対効果が悪くて、それが原因で料理の質も落ちていると感じた。
飲食店はある程度客が入らないと、酒や食材が回らないので、いいものを用意していていも、冷凍してしまったりして、台なしになっていることがある。
客が入らないけれど、良いものを置いている店というのは、ある意味存在矛盾なのだ。
客が入らなければ、仕入れすらままならないものなのだ。

昨日も書いたけれど、飲食店という商売は、泳ぎ続ける宿命を負ったサメのようなもので、止まることは、即、死を意味する。
売れなければ仕入れがダメになり、仕入れがダメになればさらに売れなくなる。
厳しい世界だと思う

まぁ、このご時世、サラリーマンもサービス残業ばかりで楽ではないんだけどね。
このログを書いている、今が、午前1時。
だけど、妻は未だ仕事中で帰らず。
明日7時には起きて仕事に行かなきゃならないんだけど、洗濯物などの家事は溜まりまくり。
どんな仕事をしていても人生は楽じゃないねぇ。

という訳で僕はもう寝ます。メールなど読む暇は当然なし(笑)。


2004/10/06(水)
料理人は料理だけ学んでいればいいのか
今日は鍋を食べた。
二人して就業が22時30分だったので、久しぶりに夫婦で夕食を食べることができた。

しかし、その鍋は、リーズナブルだったけれど、イマイチだった。
単品の中にすごく手の込んだ一品があったりして、基本的に腕は良い人なのだと思うけれど、あんな鍋を出すのなら、仕事を諦めているとしか思えない。
腕が良いにも関わらず、マーケティング的に大間違いをやっている店に時々出くわすのだが、ここもその一店。
そんなときは、要らぬことも言いたくなるほど、惜しい気持ちで一杯になる。

これから店をやろうとする人は、料理の腕だけではなく、マーケティングについて学んでほしいと思う。
(儲け主義ではなく、愛される店を作るための、自らの思想の発露の技法だ)
また、自分で学ばないなら、きっちりしたコンサルタントに頼むべきと思う。
目先の金を惜しんで、文化祭の模擬店に毛が生えたような店を作っても仕方がない。

今日の店もそんな店だった。
厳しく断じれば、大金かけて店を作ったのに、数ヶ月で飽きられるタイプの店に近い。
大資本の店ならそれでもビジネスになるのだろうが、個人経営の場合は、長く愛されてこその信用商売なのに、それが感じられなかった。

素晴らしい店に出会ったときには、小躍りするほど嬉しいけれど、腕が良いのに、それが発揮できていない店に出会ったときは、痒いところに手が届かないような、どうしようもない無力感に呵まれてしまうのだ。


2004/10/02(土)
決まり事には意味がある
平日は書く余裕がないので、週末に色々書いてしまう。

さて、今日はメールで教えてもらった焼肉店へ行った。
疲れたときは焼肉だなんて、我ながら短絡的と思うが、やはりどこかそう感じているのは間違いない。
また、若い頃のようにドカドカと食べなくなったので、焼肉は意外と安いのだ。
昔は、すごくリーズナブルな店で、一人一万円とか払ったこともあったよなと思い出すが、今は二人で一万円払うことはほとんどない。

教えてもらった店はなかなか良い店で、しっかり堪能した後、近くにあるバーへ向かった。
そこはヴーヴ・クリコのシャンパーニュを取り扱っており、そのことを前面に出していた。
広島市の中心部からはかなり外れており、住宅街の一角にあるにしては頑張ってるな、と思いメニューを眺めると「フレンチ・エグゼ」という、この店の看板らしいカクテルが目に入った。
スペルは「French Executive」となっており、初めて名前を聞くカクテルだ。

説明を読むと、どうやらシャンパーニュをワインで割るらしい。
へぇそんなことして旨いのか?と思いつつ、ピノ・ノワール同士だったら合わなくもないのかな?と考え直し、頼んでみることとした。

運ばれてきたフレンチ・エグゼは、ロゼよりも少し赤みの強いシャンパーニュという感じ。
おそらく、シャンパーニュを赤ワインで割ったものだ。
味わってみると、しかし、味云々の問題以前にカクテルがぬるかった。
冷えていないシャンパーニュは、冷えていないビールと同じなので、どうにもこうにも持て余してしまい、スタッフに氷を入れてもらえないか?と申し出た。
最初から冷めているステーキを出したのと同じなので、本来は作り直しを命じられて当たり前と思うが(馴染みの店なら僕は間違いなく突き返す)、スタッフは粛々と氷を入れて持ってきてくれた。

こういう基礎的な部分が不勉強な人に厳しいことを言ってもクレーマーと思われるのがオチなので、僕は黙ってその水っぽいカクテルを飲み、精算をお願いした。
このカクテル以外の、居心地の良さとか、スタッフの人当たりなどは高品質だっただけに勿体無いと感じた。

カクテルに限らず、料理というのはレシピではない。
どんなに細かくレシピを定めてあっても、なぜそれを行わなければならないかを理解しなければ、時間が経つにつれ、伝言ゲームのようにオリジナルの味から遠ざかる。

どんなことでもそうだが、手順を覚えるのは基礎中の基礎。
それを繰り返し素早く出来たとしても、何の修業にもならない。
単に優秀なスタッフというだけだ。

自らのスキルとして習得を目指すならば、その手順の意味するところを理解しなければならない。
それが出来て初めて、自分の足で第一歩を踏み出したことになるのだと僕は思う。


2004/09/30(木)
塩ラッキョウの味は果たして
先週末に東京へ行った。
友人の結婚パーティがあったので出席したのだ。
ラーメン関係だったので、前後にしっかり食べ歩いたから、追って報告したいと考えてはいるんだけど。。。
#いつも遅れたり忘失したりなので、早くやらなきゃね。
#しうさんが日記で先に書かれているので、どこで食べたか知りたい人はそちらをどうぞ。

この関係で月曜日に夏休み(そういう制度がある)をいただいたのだが、その余波で今週はかなり忙しい。
妻も毎日、日付が変わるくらいまで働いているため、我が家には食料が何にも蓄積されておらず、22時や23時過ぎから何かを軽く食べて帰ることが多い。

そんな中で、8/25に書いた、残業後レストランで塩ラッキョウを食べた。
一ヶ月経ち、旨くなっている頃だからだ。

それにしても、前回のあの内容から、店が判った人がいたらしいので、ちょっと驚いた。
ラッキョウは確かにメニューに載っているけれど、塩と醤油はどこにも書いてなくて、僕だってその時、目の前に置いてあったから判ったくらいのものなのだ。
聞くと、年間70kgほど漬けるが、甘酢がほとんどで、塩と醤油は2kgづつしか漬けないとのこと。
どちらもも常温で保存できないので、冷蔵庫で熟成させるしかなく、とてもじゃないけれどそんなスペースはないからだそうだ。
僕はそれほど熱心な常連ではないので、塩や醤油のラッキョウは知らなかったが、本当に常連な人は「ははぁ、あの店だな」と判ったらしい。

ところで肝心の塩ラッキョウだが、これが実に旨かった。
甘さがなくて、本当にラッキョウらしい良い風味がするけれど、アリシンのツンツンした刺激がほとんどない。
これは発酵したためのようだ。
とてもプレーンなラッキョウの味なのに、熟れて強い刺激だけが抜けている。
これに比べると、普通のラッキョウは甘酸っぱい調味料が煩いと感じてしまった。

まだまだ僕の知らない旨い料理がたくさんあり、馴染みの素材にも隠れた旨さがたくさんあるのだと再確認できた味だった。


2004/09/23(木)
砂の中の犬
所用で、昔、撮影した写真を探していて、面白い写真を見つけた。
確かこれは尾道市で撮ったものと思う。

砂の中に犬を入れるなと指示している。
掲示場所は国道2号線沿いの街路樹の幹だったかな。
しばし、何のことか判らず、哲学的な問いかけなのかと沈思黙考した後、撮影した覚えがある。

砂浜の一角に掲示されていたら意味は通じるだろうが、やはり不自然な気持ちは変わらないだろう。
あらためて読んでもしみじみと可笑しい。


2004/09/23(木)
広島駅の立ち食いうどん
広島駅の立ち食いうどんを、昔は朝食によく食べていた。

その頃は新幹線口にある店が主で、玉子とワカメを加えた、ワカメ玉子蕎麦が多かった。
水がカルキ臭いんだけど、ツユが熱いので、必ず水が必要なのだ。

しかし、当時はうどんと蕎麦のどちらが理に適った選択なのだろうか?と思ったりしていた。
今回、うどんを頼んで、それがはっきりした。
そうか、このツユはうどん用に調整されているのだ。
だから、(そんなの好みなんだけど)どちらかといえば、うどんのほうが好相性と感じたのだった。
こんなことを長いこと疑問に思っていたなんて、我ながら愚かだなと思う(笑)。

それにしても、駅の立ち食いうどんは旨いねぇ。
特にこの天ぷらとツユの相性が素晴らしい。
玉子を加えて、天玉うどんにしたら、ちょっとしたご馳走な気がして来るから不思議だ。
もちろん、一口二口食べた後は、備え付けの七味唐辛子を振るのが常道。
こうすると、ツユ等のNGな部分が判りにくくなり、熱いツユに辛さがプラスされキレが出てくるので、特に天ぷらをのせた場合は必須となるのだ。


2004/09/20(月)
イベント過多
先週は、木曜日と土曜日に、自分が主催するイベントがあって、その準備と着実な執行に忙殺された日々だった。
イベントというのは、上手く行って当たり前なところがあるんだけど、どれだけ状況を想像して、その想像力の範囲内に収めるかというのが力量になる。
それにしても大きな出来事が二つ続いたのでちょっと疲れたな。

お陰で日曜日と月曜日はダメダメな生活だった。
特に日曜日はほとんど寝ていたんじゃないかな。
自分でも驚くほど寝ていた。
疲れていなければ寝るのも苦痛なので、我ながら疲れていたのだろう。
夕食は焼肉を食べに行って、無理矢理活力を注入したのだが(笑)


今日は少し復活して活動した。
夜は府中市の「星野洋菓子店」のパウンドケーキがあったので「蛇舞珈亭」の珈琲で活力を注入したが、ぼちぼちだったと思う。
それにしても「蛇舞珈亭」は、昔に比べ、どんどんライト傾向になっているけれど、豆の出自と焙煎が良いので、自分好みの淹れ方をすると、確実に旨いね。
今回は40gを150ccで淹れた。
アホか?と言われそうだけど、濃ければ差し湯をすればいいのだ。
雑味が出ていないので、そのほうが旨いことが多い。
濃いけれどすっきりしてゴクゴク飲める。
こういう珈琲も旨いと思うな。
酒もそうだけど、ケースバイケースなのだ。


2004/09/15(水)
飲みながら何を語るのか
今日の夕食は22:10スタート。
こんな時間からたくさん食べるつもりはないので、軽く飲みつつ、食べていた。

一人でぼーっと食べていたので(僕は一人の食事も好きなのです)、自然と周りの会話が耳に入った。
他のテーブルでは、判決後、一年そこそこで死刑執行になった某被告の話と、虐待された上、川に投げ込まれた兄弟の話について議論されていた。

しかし、僕は何というか、これらの事件を考えただけで、被害者に連なる人達の悲しみはいかなるものかと、底のない深い穴を覗き込むような手の届かない絶望を感じてしまう。
想像しただけで悲しすぎて、僕の想像力を超えてしまうのだ。

だが、十分に酒を飲んだ彼らは「被害者の親族の気持ちを考えるとだな・・・」という論調を繰り返す。
僕はその時点で論点がズレていると思う。
僕たちは、被害者の親族の気持ちになんて、なれるわけがない。
さらに厳しいことを言えば、酒を飲みながら議論する話ではない。

もしかして、話題がないから、時事問題を持ち出したのだろうか。
だとしたら、酒の肴にされた事件の関係者は、二重の意味で不幸と思う。

人の痛みを想像できない、その辛さが判らないという点において、彼らと加害者には、ほんの僅かだが接点があると思うのは僕だけだろうか。


 OR AND
スペースで区切って複数指定可能
++HOME++
[TOP]
shiromuku(hu1)DIARY version 3.10