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2008/01/07(月)
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お好み焼き徒然-広島焼という名称に反対する
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今日、電車に乗っていて、あるお好み焼き店の広告が目に入った。 そこには「広島焼」という言葉が使われていた。
少し前までは全く使われていなかった言葉だけど、最近になって時々見かけるようになった。 とはいえ、まだ圧倒的に少数だし、雑誌などは逆に「広島焼」がNGワードとして浸透したので、以前よりも見かけなくなったけれど。
この「広島焼」なる名称について、僕の意見を明確にしておきたい。 文脈からご理解いただけると思うが、明確に反対を唱えている。
第一に、地元で呼び慣らされた「お好み焼き」という名称があるのだから、それを外圧(無邪気な外圧と思うが)で替えるべきではない。 詳細は後述するが、お好み焼き文化振興の観点からも好ましくない。
第二に、関西圏のお好み焼きと区別ができないというのであれば「広島お好み焼き」でよろしい。 ラーメンもうどんも、地名+料理名で区別している。 特に違和感はないはずだ。 そもそも、地名+焼という組み合わせは、伝統的に陶器や磁器を表す際に使用している。 判りやすくしたつもりかもしれないが、逆に判りにくくしてしまっている。 ネーミングセンスが浅薄な上、そもそも本末転倒である。
第三に、このことを僕は最も主張したいのだが、県外客に媚びた態度は止めなさい。 真に広島のお好み焼き文化を振興したいと願うなら、目先の観光客に対する判りやすさよりも、地元の食文化を正確に理解してもらうことを優先すべきである。
そもそも広島に来る観光客は、広島焼と書いてなくても混乱はしない。 観光客が訪れそうな場所で、関西圏のお好み焼きを出している店が何軒あるというのか。
そして何よりも、お好み焼き文化を振興したいのであれば、まず我々がお好み焼きを食べ、愛することだ。
讃岐うどんを見れば判る。 あれは田尾さんという稀有な才能の持ち主が、面白がりながらうどん店巡りをしたのがブレイクの始まり。 今でもそうだけど、観光客が来るから食べない、行かないということはなくて、地元の人は淡々と日々うどんを食べている。 要は「地元の人が誰よりも楽しんでいる」という状況が最も重要なのだ。
他所の人に判ってもらおうとは思わない、地元の僕らが楽しいんだから、それでいいじゃん♪と思っていると、初めて他所の人たちも「なんか面白そうだな…」と寄ってくるのだ。
幼稚園の学芸会のように、僕のことを見て見てオーラをギラギラ発散させても周りは白ける。 迎合したつもりが、10年後、20年後には、逆にそっぽを向かれる可能性が高いと僕は思う。
それよりも、他所の人たちが気付かないような、お好み焼きの積み方の手順であるとか、鉄板の厚さや温度であるとか、素材の産地であるとか、子どもの頃からお好み焼きを食べてきた僕たちにしか判らない部分ってたくさんあるではないか。
その僕たちが成すべきことは、まだまだ県外の人たちが知らない世界を理解し、密かにヒヒヒと笑って楽しむことなのだ。 神は細部に宿る。 ちょっとした手順の差が味に大きく影響する(こともある)。 それを僕たちが詳らかにすべきではないか。
逆から述べれば、そういう地道な努力が重要なのであり、名称を全国区に迎合してみました、というのは、思い付きレベルの下策だろう。
広島のお好み焼きが町興しで創作されたレベルの新興料理というのなら、理解はできる。 しかし、50年余の歴史があり、県内に2,000店以上の専門店を抱え、全国で通用する名物料理なのだ。 ぽっと出の町興し料理と同じレベルの名称を自ら名乗る必要は全くない。
「広島焼」を掲げる店には、その辺りのことを真摯に考えていただきたいと思う。 また、食べ手である僕たちには、何となく旨いじゃなくて、この我々のソウルフードの各店の差異を確認しながら食べるべきと思うのだ。
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