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2005/05/10(火)
やっぱりダメ
あー、ちきしょ。胃腸の調子悪過ぎ。

色々試しているけれど、どうやっても直らないのでイラつく。
通勤の自転車漕ぐのもツラくなってきたじゃないか。
というわけで、さっき帰宅したんだけど、もう寝ます。
こう体調が悪いと、メールチェックする気も起きん。


2005/05/09(月)
呉に鶏白湯ラーメン?
ある携帯サイトで「広島県呉市は鶏白湯のプチご当地」という趣旨の記述があった。
最初はどうしてこういうミスが起きたんだ?と思い、関係者である友人に連絡を取り「あれ、明らかなミスだし、あんな記事載せてたら信頼性が下がるよ」と忠告した。

閲覧者が少ないサイトならスルーするけれど、会員だけで数万単位の規模のサイトなので、トラブルが予想されるし、何よりもそれらの尻拭いは大概、僕のところに回ってくるのだ。

そりゃ、首都圏で脚光を浴びている鶏白湯が呉に昔からあるのだと言い切ってしまえば、取りあえず注目されるだろうが、呉のラーメンは鶏ガラが多めに使われた濁りスープというだけで、首都圏で言う「鶏白湯」ではない。

元々僕は「鶏白湯」という言葉の成り立ちが鬼っ子と思うのだ。
豚骨を使っても、ぐらぐら煮なければ濁らないにも係わらず、豚骨=白濁というイメージが定着し、我々は「豚骨スープ」と言えば、そのまま、白濁スープを連想する。
だから、元ダレの醤油が濃ければ、豚骨醤油スープになる。
いわゆる豚骨スープでも、元ダレのベースは醤油であるにも係わらず。

逆に「鶏ガラスープ」といえば、澄んだスープというイメージが定着している。
元々、鶏ガラは豚骨に比べて乳化しにくいからだろう。

よって、鶏ガラ=澄んでいるという先入観を払拭するため、豚骨白濁スープと同じくらい濁らせた鶏のスープを表現するため、「鶏白湯」という言葉が生まれたのだと思う。
つまり、トコロテン式に押しだされて生まれ落ちた言葉のように感じるのだ。

そして、その経緯から、鶏白湯はアンチ豚骨白濁であることを余儀なくされる。
「鶏白湯」を謳いつつ、豚骨を少量でも使うことは、看板に偽りがあるように感じられてしまうのだ。
つまり、豚骨が入っていれば、濁っているのは当然となり、鶏白湯の枠組みに入らなくなるのだ。
そうしなければ、家系ラーメンだって鶏白湯となり、訳が判らなくなってしまうのだ。

その点でも、いくら鶏を主体にしているとはいえ、豚骨を相当程度使っていることを伏して、首都圏の鶏白湯の記事の流れの中で紹介してしまうと、前後の脈略から考えて、極めて不適切、というかほとんど騙しになると感じた。

その記事を書いたライターは何者なのか知らないが(友人も知らないとのこと)、充分に対象を掘り下げず、無責任にフワフワと煽っておいて後は知らないという、徹頭徹尾、典型的なマスコミ体質と感じた。

ラーメンを愛する姿勢も、当地を愛する姿勢も感じられない、閲覧数が取れれば良い、衆目を集めれば良いという、唾棄すべき記事だった。
頼むからそういう根拠のない、気持ちが入っていない煽りは止めてくれ。

いい店やいい食文化が生まれれば、その時に初めて称賛するべき。
一人の客として、住民として、それらを育てることは大切だが、そいうものはメディアが絵空事で作るものではないのだ。


2005/05/05(木)
胃痛な日々
昨日の暴飲暴食が祟ったのか胃腸の調子が悪い。

昨日書いた店を全軒付き合っているわけではなくて、僕は車の中で待っていたりもしたのだが、それでもこの有り様なのだ。
つくづく、彼らの胃腸は丈夫だなぁ。

とはいえ、僕の胃腸が万全ではないというのも事実なのだ。
前から胃腸の調子が悪いと書いていたが、GWの前半を終了しても直る気配がないので、単に胃薬を飲んだり、リラックスしているだけでは直らないようだと判り、ついに薬局へ足を運んだのだ(病院はまだ行きたくない)。

僕の話を聞いた若い男性は「ストレスによる自律神経の失調ですね」と判断。
「胃薬をいくら飲んでも根治には至りません」と言い切ってくれた。
何がいいのかと問うと「アミノ酸飲料とローヤルゼリーです」というではないか。
理由を書くと長くなるので省くけれど、へぇ、じゃぁ試してみようかと思えるほどには説得力があったので、買って帰ってその日から飲み始めた。

すると何が効いたのか、飲んでしばらくしてものすごい眠気がやって来て、結局、次の朝まで寝てしまった。
何なんだ一体。

で、それから数日経って、5/4には彼らに付き合おうと思えるほどには復活したのだが、どうやら、まだ万全ではないのに無理をしたのが良くなかったらしい。
やれやれ。直りかけには注意する必要があるなぁ。

という訳で、昼は何とかお好み焼きを食べたが、夜はまともに食事できず。
いつになったら体調が万全になるのだろうか。やれやれ。


2005/05/04(水)
学而時習之 不亦説乎
という訳で、県内ラーメンツアーに出発した。
が、せっかく広島まで来たんだから「達磨」へ行きたいとのことで、最初の店は「達磨」だった。

GWなので9時30分には現着したのだが、それでも18人待ち。
待っている人が多いためか、10時30分には開けてくれ、11時前には店を出ることができた。
その頃には100人を超える人が待っていたので、早めに着くという作戦は大成功だったのだ。

で、そのまま安佐北区の「遊山」、西条の「八音」、黒瀬の「味よし」、竹原の「太華園」と「一富士支店」、三原の「来来軒」と回り、笠岡の「お多津」へ着いた。

当初、僕は三原辺りで車を降り、JRで帰宅しようと思っていたのだが「お多津」で旨いサワラを食べると言うし、〆には冷しラーメンがあるというので、急遽、店に電話して、僕の分も用意してもらったのだ。

サワラは魚辺に春と書くが、脂がのって旨いのは冬で、そろそろ終りのはずなのだが、さすが「お多津」で用意されたサワラは上等なものだった。
香りよく、身質がキュッと締まって、脂のノリも程よい。
あぁ、久しぶりにこういうサワラを食べたなと感じた。

しうさんによると、首都圏ではサワラの刺身ってほとんど食べられないものらしい。
へぇ、僕が首都圏へ行くときは、わざわざサワラを食べたりしないから、そういうことには気付かなかったな。
だとしたら、瀬戸内の上等なタチウオ、メバル、アイナメ、シロギス、マナガツオ、カタクチイワシ(刺身)、アカガイ、タイラギなども驚きなのかもしれないな。
ましてや、ベラ、キジハタ、テンジクダイ、もしかしてオコゼなどもほとんど見かけないのかもしれない。
#そのためには海産資源の保護と育成が最重要課題なのだが。
#やはり、海砂採取が最大の破壊行為だったよな。

冷しラーメンは岡山県矢掛の冷しへのオマージュだった。
そうめんを食べるときに、煮干しベースの薄いツユで、そうめんと具を一緒に、ツユを飲むように食べたりする文化が西日本にはあるけれど、最初から大きな丼に麺を入れ、具を飾り、ツユを張ったら、それがほとんど矢掛の冷しラーメンとなる。
成り立ちはそういうところにあるのではないだろうか。

それにしても、久しぶりに県内の名店を巡ると、新たな発見があって楽しかった。
なかなか自分一人では、これらの店を回ったりしないから、良い経験になった。


2005/05/03(火)
有朋自遠方来 不亦楽乎
GWを利用して、首都圏のラーメン好きが全国各地を放浪中だが、西日本を中心に回っている、しうさんとこばちゃんが広島を訪れた。
広島入りが夕方からだったので、一杯飲もうぜということで、我が家へ招待した。
「塩水鶏が食べたいな」というリクエストもあったことだし(笑)。

せっかくなのでドン・ペリニヨン・エノテーク1990年を開けた。
過度に華があるのではなくて、きりりとして抑制の効いた香りがあり、シャープな中に上品な果実味がある。
よく寝かせてあるので、泡も細かく、上々な旨さだった。
やはり、シャンパンって楽しい気分になるな。

料理は、ラーメンを食べてきた彼らに対し、季節感のある山菜を出したかったので、コシアブラとタラの芽の天ぷらをたっぷり。
量が多いので衣を薄めに、玉子をやや多めにして香ばしさを出した。

あとは塩水鶏の口直しにミョウガタケ。
アスパラガスのソテーくらいだったかな。
コシアブラご飯も用意していたが、さすがにこれは不要だった。

本当は先に買ったベーコンを出そうと思っていたのだが、やはり漬け込みが浅過ぎて無理だった。残念。
ま、次の機会だな。

それにしても、会って話をし、酒を飲む毎に深みのある話ができるように思う。
しっかりと自分なりの意見を持っている人と、胸襟を開いてディスカッションするのは得難い時間と改めて感じた。
彼らも喜んでくれたようで、まずは良かった。

明日は僕も、彼らのラーメン行脚に同行する予定。


2005/05/01(日)
GW三日目
朝から雨。
しかし、今日は妻が仕事に出るというので車で送り届けた。
その足でいくつか野暮用をクリア。
「ラパン」へ寄って、今日のおかずなどを物色した。

ここはいつきても客が少ないが、大丈夫なのかと心配だ。
品揃えはかなり良いので、何としても撤退しないでほしいんだけどな。
例えば、豚肉に三元豚を置いているのはここだけ。
今回は、ベーコンを作ろうと思ったので、これの購入が一つの目的なのだ。
結局、バラ肉を2kg買った。

そして、他には何があるかな?とうろついていると、魚売場に立派なキジハタ(あこう)がいることに気付いた。
一匹2,000円。いい値段だけど、今の時期だからこの値段で買えるというのもある。
夏になればドカンと値が上がる魚だしな。
二人で一匹食べれば十分な量だったので、一人1,000円だと思い、結局買ってしまった。

帰宅してベーコンの仕込みを済ませ、本を読んだり、書き物をしていたら夜になった。
妻も帰って来たので、夕食にした。

キジハタは濃い目の味で煮付けたが、これがもう、強烈に旨かった。
僕は煮付けであっても、背骨にぎりぎり熱が入る程度に仕上げるのが好きなので、身が骨からはずれにくいほど。
また、内臓も旨いから、食べられる部分は取らずに煮付ける。
これがまた旨いんだな。
最後は煮汁をご飯にまぶして完全に食べ尽くした。
キジハタの場合は、この煮汁まで旨いため、そうめんに吸わせてもいいと思う。
それにしても、ゼラチン豊富で、ハタ科独特の繊細さと深みがあるのに、ハゲのような臭みはなく、実に素晴らしい魚と思う。
この魚は刺身か煮付けだと思うが、刺身にするときは少し湯霜か焼霜にしたほうが良いだろうな。
熱を加えられると味が活性化するタイプの魚なのだ。
僕は、次回入手したら、ぜひ清蒸にしてやろうと考えているのだ。きっと旨いに違いない。

他には妻が春キャベツのサラダや木の芽和えを作ってくれた。
木の芽和えの色が悪くなったと嘆いていたが、味は上々。
ホウレンソウなどを入れて色を綺麗に出す店が多いけれど、木の芽の風味が薄いのって僕は好きじゃないし、本末転倒だと思う。
少々色が悪くなっても、旨くなければ意味ないじゃないか。

さて、GWの前半は今日でお終い。明日は仕事だ。


2005/04/30(土)
GW二日目
僕の車はもう12年目になる古い小型車だが、普段掃除をしないので、たまには掃除をしてやろうと、朝早くから活動を始めた。

すると、近所の子供達がわらわらと寄って来て、何をしているのか、それはどういう意味があるのかと細々したことを聞いてくる。
その都度、解説していたのだが、途中から手伝いを始めてくれて往生した。
小学校高学年の子は戦力になるのだが、低学年以下の子は気持ちが空回りするばかり。
困ったなと思い、キャッチボールを教えてやると、今度はなかなか解放してくれない。
僕も興がのって、小一時間ほどキャッチボールをしてしまった。

や、こんなことでは終わらないじゃないかと思い直し、次々と作業を進め、やっと終了したのが13時前。
で、せっかく車が綺麗になったのだからとドライブに出かけた。

行き先は「大野自然観察の森」。
新緑の季節なので、山野草を観に出かけたのだ。
それほど人気がある場所ではないので、GWだというのに人はほとんどいなかった。

ここはベニマンサクが有名だけど、アカマツの多いことにも驚いた。
最近、アカマツの林って見ることが少ないもんね。
ヤマツバキ、ミツバツツジ、ドウダンツツジがあちこちに咲いていて、フジの花もちらほら。
園芸種のフジのように、房が長くないし、庭園のように群集していないけれど、山に咲いているこれらの花のほうが僕は好きだな。

左の写真はスミレ。
何スミレなのだろう?と思い、帰宅して調べると、ミヤマスミレ類、枕言葉のない「スミレ」だった。
へー、そんなのがあるんだ。知らなかった。

そしてもう一つ、ナナフシの幼虫も見つけた。
最初は無警戒に歩いていたが、我々に気付くと「ぼ、ボクは木の枝ですよ。ほら、風に揺れてるでしょ?」と、身体をゆらゆら揺らすので大笑い。
さらに驚かすと死んだ振りをするはずだが、可哀想なので止めておいた。
それにしてもナナフシって面白い奴だな。

今回、初めて訪れたが、なかなか良いところだな。
来る人は少ないが、自然を守ろうとする気概が伝わってくる。
次回はもっと時間に余裕を持って「葉で見わける樹木」持参で訪れよう。
http://www.ne.jp/asahi/blue/woods/


2005/04/29(金)
GWの予定初日
初日の今日は、野暮用で午前中をほぼ潰され、昼から食事に出て、妻の茶の稽古場へ送り届けた。
そのとき、ちょうど、友人も同じく奥さんを送迎しているところへ出くわして、しばし、戸外で立ち話をしていた。

内容は、新しいG5が出たね、とか、お互いの近況とか、そういう話。
彼とは昨年、お互いで仕込んだ内容で仕事したのだが、その後の仕組みについても話が及び、いつものように、どこまでが遊びでどこまでが仕事か判らなくなりつつなり始めた頃、携帯電話が鳴った。

「そんなところで立ち話するくらいなら、茶でも飲みに来い」という内容。
僕としては彼と話をしていたほうが楽しかったのだが、まぁせっかくの誘いなので、茶をいただいた。
変な例えだが、茶芸というのは大人のままごとのようで楽しいな。

あ、そういえば、このGW中に東京のラーメンフリークが中国地方をぐるぐる回っている。
今回も情報提供したけれど、なかなかタイトな日程のようだ。

1人は4/27広島入りしていたが、僕は仕事があるので付き合えず。
次のグループは5/3頃来るらしいので迎撃体勢準備である。
つか、彼らと話をするのは、心からリミッターを外せてすごく楽しいのだ。
この内容って判ってくれるかなぁと、最初に距離感を図る必要がないというのはすごく気楽なんだよね。

#写真は妻の茶の先生がくれた野菜。ベランダで育てた無農薬野菜だ。
#彼女も茶を離れればいち友人となる。僕はつくづく友人に恵まれていると思う。
#僕が間違った言動や行動をしてしまったとき、真っ先に苦言を述べてくれるのはいつも彼らなのだ。
#これからもよろしく。


2005/04/29(金)
ゴールデンウィーク開始
いや、天気いいね。気持ちがいい。
普段、日の光を浴びることがないので、朝からしばし外に立っていたのだけど、少し暑いくらいだ。

僕はGWは特に予定なし。
アーメイは仕事が溜まっているので、連休中にもいくらか仕事に出るそうだけど、僕は出ないし。

やることの中心は、サイトの更新と、読みたかった本を読むのと、ちょっと近郊へドライブに出かけるくらい。

ここ最近、胃痛が酷くて、生活に差し障るくらいだったので、この辺りでガス抜きしておく必要があるのだ。
とまれ、皆様、良い連休をお過ごしあれ。
僕の状況は、快食ログでぼちぼちご報告します。

#写真は白い藤の花。連休中は藤の花を見に行く人も多いんだろうね。


2005/04/26(火)
広告は情報なのか
僕が好んで読むブログの一つに「R30::マーケティング社会時評」がある。
http://shinta.tea-nifty.com/nikki/

彼が最近のエントリで書いたことを少し引用しよう。

広告も「マス」に知られていればいいという、量の評価の時代は終わっていて、むしろ「信頼できる」とか「新しい価値がある」といった、質に関する評価が大事な時代になっているということ。

全くその通り。
大量に投げ込むだけの広告という手法は、もはやinformationではなくて、dataの提供にしか成り得ていない。
#昔からそうだったと言う指摘もあり、その把握は正しいのだが、それはさておき。

それでも、dataが乏しい時代には、一応、それが広告だと信じられていたし、それで商売になっていた。
dataが流通していないからこそ、広告する側にとっては幸せな時代だったのだ。

しかし、これだけdata過多の時代になってしまったら、細々と詳細に比較検討する人はほとんどいなくなる。
いたとしても、○○の玉子が1パック10円安いとか、僅かな違いに一喜一憂するタイプの客に過ぎないし、そういう客は他の店がさらに10円安くしたらそちらに流れるのみ。

僕は既にそういう作業は諦めた。
ゴミが増えるので、新聞からも広告類は全て抜いてもらっている。
時には必要な作業だけど、dataの比較検討は労多くて益少ないのだ。

人が求めているのは、dataではなく、informationなのだ。
#本当はintelligenceなんだろうが、それは個人的に咀嚼するものなので共有は難しい。

それなのに、旧態然としたdataばらまき型の広告が目立つ。
しかも、そのばらまき方がなっちゃいないというか、逆に客の神経を逆なでしていることに気付いていない。
この辺りはテレビを代表とする、マスコミにも同じことが言えるのだが、それはまた別の機会に語ろう。

僕のような、マーケットとはあまり関係のない仕事をしている人間からそんなこと言われたくないだろうが、もう少し、マーケットを観察してほしい。
つか、その手の本はいくらでも出ているのだから、読んでくれ。

とりあえず、僕的に素晴らしいと思った1冊を勧めておく。
僕ですら、この手の本を読んでいるのだ。
ましてや、飲食業など、広告に携わる人ならば是非もなく必読だろう。

「聞く技術」著者:喜山荘一
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484052016/qid=1114523587/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-2695517-8377057


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