4月14日の土曜日、61kmのマラニックに出場した。
馴染みがない言葉だろうが、マラニックはマラソンとピクニックを合わせた造語で、走りながら風景などを楽しむイベントだ。
そのため、歩いても構わないが、本当のピクニックみたいにのんびり歩いていたら制限時間に間に合わない。
出場選手もウルトラマラソン(42.195km以上の超長距離レース)経験者が多い。
言葉は別にして、ウルトラマラソンの制限時間が緩いものと考えてもらって差し支えない。
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また、GWの5月5日に一人で広島市から浜田市を自転車で往復した。
これは総走行距離が230kmだった。
自転車のフルマラソンとも言われるセンチュリーライドが160kmだし、中国山地を越えるタフなコースなのでかなりキツい。
僕が乗っているのは当然ロードバイクだが、初心者には勧められないレベルだ。
#こんなことを考えたきっかけはこのブログ。
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どちらも長距離スポーツをやっていない人には想像もできない距離と思う。
僕も5年前だったら「何が楽しくて...」と首を振っていた。
ところが今の僕は、こういう超長距離スポーツが楽しくて仕方がないのだ。
その魅力を考えてみたい。
僕が走り始めたのは4年くらい前だ。
本当に何のきっかけもなく、体力の低下を感じて、何となくジョギングを始めた。
多くの人が期待するようなドラマチックな理由は全くない。
走り始めた時は適当なシューズで走っていたので、すぐに膝が痛くなった。
体重が重い上に筋肉が出来ていないところへジョギングに適していないシューズで走るのだから当たり前だ。
そのシューズを履いてスポーツショップへ行くと「これテニスシューズですよ」と言われた。
そんなことも知らなかったのだ。
超初心者用のジョギングシューズを選んでもらって走り始めたが、最初は3kmで死にそうになった。
当初の目標が「ひろしま国際平和マラソン」だったので、何とか10km走れるようにもがいたことを覚えている。
ネコ吉さんやもっちーなどの友人を巻き込み、逃げられなくして大会に望んだ。
練習の最後辺りでは15kmくらいは走ることができるようになっていたが、大会で本当に10km走れるのだろうか?と最初から最後まで不安だった。
その後、ネコ吉さんに誘われて自転車を始めた。
初めての練習では合流するまでに一度、合流してからも一度、立ちゴケした。
ビンディングペダルを外せなくて、ペダルに足を付けたまま転けてしまうのだ。
確か最初の練習は30kmくらいで、ロードバイクってこんな距離を走ることができるんだ!と感激したことを今でも覚えている。
それからは様々なレースに出場し、そのための練習も行ってきた。
しかし、当たり前のことだけれど、僕は今からオリンピックを目指しているわけではない。
国体だって無理だ。
市民レースで優勝することもない。
いくら頑張っても表彰されることはなく、年齢とともに身体は衰え、記録は伸びなくなる。
それなのになぜ、僕は休日を潰してまで長距離スポーツに取り組むのか。
あらかじめ述べるならば、健康のためではない。
適度な運動は健康に寄与するから、最初はそういう目的でも良いけれど、それはハーフマラソンくらいまで。
自転車なら100kmくらいまでだ。
それを越える頃には、身体を壊しても構わないから完走したいと思うようになる。
健康のためという、どちらかといえばネガティブな気持ちで真の長距離は走れない。
走ることそのものが楽しくなっていなければ無理なのだ。
では何が楽しいのか。
きっとそれは人それぞれだろうが、それでは答えにならないので僕のケースを述べてみたい。
まず最初に。
僕の場合は食事制限をほとんど行っていないので(脂質制限くらい)体重は変わらなかったが体型が変わった。
腹の脂が落ちて、脚の形が変わった。
最近のウエストは74か76だ。
腹筋がきちんと付いてそれだから、年齢を考えれば悪くないだろう。
これはモチベーションになる。
次。
これは屋外スポーツの真の楽しさを知ったことだ。
僕は20代の頃、長くジムに通っていた。
今もジムに行くし、否定するつもりは全くないが季節を感じながら屋外でスポーツする楽しさには敵わないと思う。
暑い時は暑い時の、寒い時は寒い時の楽しさがある。
なかでも春は最高だ。
4月のマラニックではたくさんの花々を楽しみ、歴史と伝統の里山を堪能した。
GWのロングライドでは中国山地の朝霧や、高標高のヤマザクラやハナミズキに迎えられた。
そして何より、これらを楽しむ時にエンジンの音は無粋なのだ。
自分の脚で進むからこそ美しい。
走っていると鳥の声に癒されることがある。
見ず知らずの人から挨拶されたり、声援を送られることがある。
(浜田の山中で自転車に乗った中学男子3名から尊敬の表情で「うぃ〜っす!」と声援を送られた)
ゆっくり走っているから、毛むくじゃらの芋虫が道路へ這い出していたり、カゲロウがふらふらと飛んでいることにも気付く。
それらを避けながら自力で前へ進む。
彼らは本能に導かれながら、結局は自分の行きたいところへ進んでいるのだろう。
芋虫もカゲロウも僕も、その点では変わらない。
僕だけかもしれないけれど、エンジンを自分の力だと過信しないから謙虚になれるような気がする。
そして三つ目に、自分を知ることができる。
これが最大の利点ではないか。
僕は長距離を始めて、身体のミネラルバランスが悪いと痛感した。
酒好きだからかもしれないけれど、身体から塩分などの電解質が汗で抜けるとすぐに筋肉が痙攣する。
誰でもそういう部分はあるだろうが、僕はデリケートすぎる。
痙攣すると運動が止まるので、かなりシリアスな問題だ。
また、脂肪の火付きが悪いこともよく判った。
エリートランナーはそういうトレーニングをしていることもあって、すぐに脂肪が燃えるらしいが、僕の場合はちっとも燃えやしない。
薪に火をつけるのと同じなので、着火材(=糖分)を入れたりもするが、しばらくするとすぐに消えてしまう。
トレーニングもあるが、ある程度は体質の問題なのかな?と思う。
トップレベルの選手は身体や才能が恵まれているところへ、壮絶な努力をするからトップ足り得るのだということがよく判る。
そうでなければ、あれだけのパフォーマンスを発揮することはできない。
しかし当たり前だけど、市民レースで一緒に走っている人たちはトップ選手ではない。
僕より優れた部分を持ちながら、おそらく僕より劣っている部分があるはず。
お互いに自分の劣った部分を練習や様々な工夫で補い、同じ土俵で走っているのだ。
そのためだろう、レースではブラインドランナーも特別扱いしない。
それはとてもフェアで美しいことだと真に理解できた。
僕の身体スペックはそれほど高くないので、走りながら色んなことを考えている。
常に状況をチェックし、身体に必要なものを考えるのだ。
水分、糖分、塩分、カフェイン、アミノ酸、炭水化物などなど。
これらのバランスが崩れると、自分でも驚くほど身体が動かなくなるがが、逆にそれらの組み立てが成功すると、思った以上に身体が動く。
これまた戦略性があって楽しいのだ。
自分の身体のことなので、マニュアルはどこにもない。
だからこそ面白いし、それもまた実力の一つなのかもしれないと思う。
さらに長距離は心理的トレーニングにもなる。
例えば20km走る時に10km走ったところで、もう半分と思うか、まだ半分と思うか。
ゴールまでの戦略を立てつつ、ポジティブに思考する方法を実践的に学ぶことができるのだ。
本を読んで判った気になっている人が多いけれど、歯を食いしばりながら考えるポジティブさって一読して身に付くものではない。
長距離をやれば、自然とそういう思考法が身に付くように思う。
僕が長距離スポーツを楽しむのは主としてこういう理由による。
今夜、思いついたのはこれくらいだけど、魅力はもっとたくさんある。
そう、最大の魅力を忘れていたけれど、過去の自分に勝てることが最高だ。
オリンピックの選考会ではないのだから、市民レースで他人と競っても意味がない。
敵は過去の自分だし、味方は今の自分なのだ。
「克己」というのが長距離スポーツの楽しさであり、テーマだと思う。
だから、速いとか遅いとか、距離が長いとか短いとか、考える必要は全くない。
自分の人生を精一杯生きるように、自分のレースに全力を尽くせばいい。
繰り返すが、長距離スポーツは楽しい。
一人でも始められるし、ジョギングならばイニシャルコストも安い。
#自転車はちょっと高い(笑)
走り始めた頃は人の目が気になるかもしれないけれど、大丈夫。
上級者のカッコいい人は覚えているけれど、そうじゃない人は覚えていないから(笑)
何よりも始めるにはいい季節だ。
僕も確か5月下旬から始めたんだよ。
