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4月14日の土曜日、61kmのマラニックに出場した。
馴染みがない言葉だろうが、マラニックはマラソンとピクニックを合わせた造語で、走りながら風景などを楽しむイベントだ。
そのため、歩いても構わないが、本当のピクニックみたいにのんびり歩いていたら制限時間に間に合わない。
出場選手もウルトラマラソン(42.195km以上の超長距離レース)経験者が多い。
言葉は別にして、ウルトラマラソンの制限時間が緩いものと考えてもらって差し支えない。
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また、GWの5月5日に一人で広島市から浜田市を自転車で往復した。
これは総走行距離が230kmだった。
自転車のフルマラソンとも言われるセンチュリーライドが160kmだし、中国山地を越えるタフなコースなのでかなりキツい。
僕が乗っているのは当然ロードバイクだが、初心者には勧められないレベルだ。
#こんなことを考えたきっかけはこのブログ
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どちらも長距離スポーツをやっていない人には想像もできない距離と思う。
僕も5年前だったら「何が楽しくて...」と首を振っていた。
ところが今の僕は、こういう超長距離スポーツが楽しくて仕方がないのだ。
その魅力を考えてみたい。

僕が走り始めたのは4年くらい前だ。
本当に何のきっかけもなく、体力の低下を感じて、何となくジョギングを始めた。
多くの人が期待するようなドラマチックな理由は全くない。

走り始めた時は適当なシューズで走っていたので、すぐに膝が痛くなった。
体重が重い上に筋肉が出来ていないところへジョギングに適していないシューズで走るのだから当たり前だ。
そのシューズを履いてスポーツショップへ行くと「これテニスシューズですよ」と言われた。
そんなことも知らなかったのだ。

超初心者用のジョギングシューズを選んでもらって走り始めたが、最初は3kmで死にそうになった。
当初の目標が「ひろしま国際平和マラソン」だったので、何とか10km走れるようにもがいたことを覚えている。
ネコ吉さんやもっちーなどの友人を巻き込み、逃げられなくして大会に望んだ。
練習の最後辺りでは15kmくらいは走ることができるようになっていたが、大会で本当に10km走れるのだろうか?と最初から最後まで不安だった。

その後、ネコ吉さんに誘われて自転車を始めた。
初めての練習では合流するまでに一度、合流してからも一度、立ちゴケした。
ビンディングペダルを外せなくて、ペダルに足を付けたまま転けてしまうのだ。
確か最初の練習は30kmくらいで、ロードバイクってこんな距離を走ることができるんだ!と感激したことを今でも覚えている。

それからは様々なレースに出場し、そのための練習も行ってきた。
しかし、当たり前のことだけれど、僕は今からオリンピックを目指しているわけではない。
国体だって無理だ。
市民レースで優勝することもない。
いくら頑張っても表彰されることはなく、年齢とともに身体は衰え、記録は伸びなくなる。

それなのになぜ、僕は休日を潰してまで長距離スポーツに取り組むのか。
あらかじめ述べるならば、健康のためではない。
適度な運動は健康に寄与するから、最初はそういう目的でも良いけれど、それはハーフマラソンくらいまで。
自転車なら100kmくらいまでだ。

それを越える頃には、身体を壊しても構わないから完走したいと思うようになる。
健康のためという、どちらかといえばネガティブな気持ちで真の長距離は走れない。
走ることそのものが楽しくなっていなければ無理なのだ。

では何が楽しいのか。
きっとそれは人それぞれだろうが、それでは答えにならないので僕のケースを述べてみたい。

まず最初に。
僕の場合は食事制限をほとんど行っていないので(脂質制限くらい)体重は変わらなかったが体型が変わった。
腹の脂が落ちて、脚の形が変わった。
最近のウエストは74か76だ。
腹筋がきちんと付いてそれだから、年齢を考えれば悪くないだろう。
これはモチベーションになる。

次。
これは屋外スポーツの真の楽しさを知ったことだ。
僕は20代の頃、長くジムに通っていた。
今もジムに行くし、否定するつもりは全くないが季節を感じながら屋外でスポーツする楽しさには敵わないと思う。
暑い時は暑い時の、寒い時は寒い時の楽しさがある。
なかでも春は最高だ。
4月のマラニックではたくさんの花々を楽しみ、歴史と伝統の里山を堪能した。
GWのロングライドでは中国山地の朝霧や、高標高のヤマザクラやハナミズキに迎えられた。

そして何より、これらを楽しむ時にエンジンの音は無粋なのだ。
自分の脚で進むからこそ美しい。
走っていると鳥の声に癒されることがある。
見ず知らずの人から挨拶されたり、声援を送られることがある。
(浜田の山中で自転車に乗った中学男子3名から尊敬の表情で「うぃ〜っす!」と声援を送られた)

ゆっくり走っているから、毛むくじゃらの芋虫が道路へ這い出していたり、カゲロウがふらふらと飛んでいることにも気付く。
それらを避けながら自力で前へ進む。
彼らは本能に導かれながら、結局は自分の行きたいところへ進んでいるのだろう。
芋虫もカゲロウも僕も、その点では変わらない。
僕だけかもしれないけれど、エンジンを自分の力だと過信しないから謙虚になれるような気がする。

そして三つ目に、自分を知ることができる。
これが最大の利点ではないか。

僕は長距離を始めて、身体のミネラルバランスが悪いと痛感した。
酒好きだからかもしれないけれど、身体から塩分などの電解質が汗で抜けるとすぐに筋肉が痙攣する。
誰でもそういう部分はあるだろうが、僕はデリケートすぎる。
痙攣すると運動が止まるので、かなりシリアスな問題だ。

また、脂肪の火付きが悪いこともよく判った。
エリートランナーはそういうトレーニングをしていることもあって、すぐに脂肪が燃えるらしいが、僕の場合はちっとも燃えやしない。
薪に火をつけるのと同じなので、着火材(=糖分)を入れたりもするが、しばらくするとすぐに消えてしまう。
トレーニングもあるが、ある程度は体質の問題なのかな?と思う。

トップレベルの選手は身体や才能が恵まれているところへ、壮絶な努力をするからトップ足り得るのだということがよく判る。
そうでなければ、あれだけのパフォーマンスを発揮することはできない。
しかし当たり前だけど、市民レースで一緒に走っている人たちはトップ選手ではない。
僕より優れた部分を持ちながら、おそらく僕より劣っている部分があるはず。
お互いに自分の劣った部分を練習や様々な工夫で補い、同じ土俵で走っているのだ。
そのためだろう、レースではブラインドランナーも特別扱いしない。
それはとてもフェアで美しいことだと真に理解できた。

僕の身体スペックはそれほど高くないので、走りながら色んなことを考えている。
常に状況をチェックし、身体に必要なものを考えるのだ。
水分、糖分、塩分、カフェイン、アミノ酸、炭水化物などなど。
これらのバランスが崩れると、自分でも驚くほど身体が動かなくなるがが、逆にそれらの組み立てが成功すると、思った以上に身体が動く。
これまた戦略性があって楽しいのだ。
自分の身体のことなので、マニュアルはどこにもない。
だからこそ面白いし、それもまた実力の一つなのかもしれないと思う。

さらに長距離は心理的トレーニングにもなる。
例えば20km走る時に10km走ったところで、もう半分と思うか、まだ半分と思うか。
ゴールまでの戦略を立てつつ、ポジティブに思考する方法を実践的に学ぶことができるのだ。
本を読んで判った気になっている人が多いけれど、歯を食いしばりながら考えるポジティブさって一読して身に付くものではない。
長距離をやれば、自然とそういう思考法が身に付くように思う。

僕が長距離スポーツを楽しむのは主としてこういう理由による。
今夜、思いついたのはこれくらいだけど、魅力はもっとたくさんある。

そう、最大の魅力を忘れていたけれど、過去の自分に勝てることが最高だ。
オリンピックの選考会ではないのだから、市民レースで他人と競っても意味がない。
敵は過去の自分だし、味方は今の自分なのだ。

「克己」というのが長距離スポーツの楽しさであり、テーマだと思う。
だから、速いとか遅いとか、距離が長いとか短いとか、考える必要は全くない。
自分の人生を精一杯生きるように、自分のレースに全力を尽くせばいい。

繰り返すが、長距離スポーツは楽しい。
一人でも始められるし、ジョギングならばイニシャルコストも安い。
#自転車はちょっと高い(笑)

走り始めた頃は人の目が気になるかもしれないけれど、大丈夫。
上級者のカッコいい人は覚えているけれど、そうじゃない人は覚えていないから(笑)

何よりも始めるにはいい季節だ。
僕も確か5月下旬から始めたんだよ。
僕にとって3年連続となる、この大会を走ってきた。

今年は総勢7名が出場することになったので、その分、朝の出発が早い。
車を出してくれる鍋ちゃんが僕の家に来るのが4時前。
そのため僕は3時に起きなければならなかった。

前日は早く寝ようとして22時にベッドへ入ったが、酒も飲んでいないし、休日出勤で身体も動かしていないので、眠くなるはずはない。
まぁ身体だけでも休めようと、うつらうつらしている間に3時になった。
シャワーを浴びて、ウェアに着替えたところで予定通り鍋ちゃんが到着。
前日、飲み過ぎて起きて来ない&酒臭いフレディには泣かされたが、タカミー、ほっけ、フレディ、もっちーの順に何とかピックアップして丸亀へ向かった。

昨年も立ち寄った坂出北IC近くの「やなぎ屋」で今年もうどん。
ちょうど茹で立てが出せるとのことだったので、釜かけにしてもらい、昨年と同じ鶏天を取った。
麺は特筆するほどではないけれど、ツユが割と旨いし、何よりもランの前なので消化の早さが重要。
うどんは最適なのだ。

そしてJR移動のサファイアを拾って、昨年と同じ丸亀駅の地下に車を置き、シャトルバスで会場入り。
しかし会場に着いて、着替えたくても寒くてなかなか決心できない。
僕は最初、Tシャツ一枚で走ろうとしたが、直前になって長袖Tシャツの上に半袖Tシャツを着ることにした。
結果としてこれは大正解だった。

そして、スタート時刻が迫り、スタート地点に移動したが、今回の最大の失敗は後ろに並びすぎたこと。
僕の予想タイムは105分くらいだったので、その辺りに並んだが、ほとんどの人がデタラメに並んでいたため、折り返し辺りまで自分のペースで走れなかったのだ。

1万人近くが走るので、片側2車線の道路でも人で一杯になる。
本来は速い人ほど前に並び、遅い人ほど後ろに並ぶので、一気に行列が伸びて、走りやすくなるはずだが、遅い人が前に出ていると、その部分で渋滞が起きる。

さらに仲良く並走とかされてしまうと、左右のどちらかを抜けるのに無駄な距離を走らなければならないし、抜くタイミングを図るために加速や減速を繰り返さなければならない。
自分のペースで走られない上に無駄に脚を削られて、本当にうんざりした。

僕もそこそこレースの数をこなして来たので、フォームを見ればどのレベルのランナーかある程度は判る。
どう考えても120分以内の完走は無理だろ?と思えるような人が僕の前を腕を振り回して、息を弾ませながらドタドタと走っているのだ。

何だか序盤は無駄に疲れたなと思っていたが、後日スプリットタイム確認してよく判った。
スタートから5kmが29分だったのだ。
その後の刻みは25分、25分、26分。

スタート直後に突っ込んでしまい、実力以上のペースで走ってしまうことはあるけれど、その逆になってしまっている。
マラソンに「たら」「れば」はないけれど、最初から同じレベルの人たちとスムーズに走ることができていればと悔やんだ。

今回もハートレートモニターを使っていたが、最初は180以下だった。
今から考えればペースが遅いのだから、当たり前だろう。
折り返し地点でやっと180の後半くらいだった。

10kmを過ぎた辺りでやっと走りやすくなり、15kmの通過タイムがグロスで1時間20分を切っていた。
まだ余力があったので、ここからペースを上げれば、自己記録更新が可能かも?と喜んでいたのも束の間、17kmくらいで右ふくらはぎがつり始めた。
最初は軽めだったが、徐々に間隔が短くなる。
何とか誤魔化して走ろうとするものの、如何せん、痛みが強くてなかなかペースを上げられない。

実はこの寒さで脚が強張っており、車の運転が終わった後にも一度つりかけたのだ。
ストレッチしたので大丈夫と思っていたが、終盤になればきっちり弱点が表に出てくる。
その後はとにかく我慢のランで、ラスト1kmはつりっぱなしのまま走り切った。

タイムは108分10秒。
個人的にはもう少し上が狙えたはずと感じていたので悔しかった。

鍋ちゃんは体調不良で大変だったようだが、それでも120分は切った。
他の人たちは120分越えだったが、想定していた以上に速かったので驚いた。
最も遅いサファイアでさえ138分で完走したのだ。
打ち上げの店を予約していた関係で、誰かが150分越えになったらヤバいと懸念していたが、大丈夫だった。
とはいえ、走り終わった後は誰もが全身筋肉痛で、脚が痛くて階段が降りられないとか、腹筋や脚がつって着替えられないとか、色々主張していたが、ハーフマラソンとはそういうものだ。

ゾンビ状態のメンバーを鼓舞し、再び僕の運転で打ち上げの場所へ向かう。
ハーフマラソン初挑戦の者は、脚や体幹の痛みに耐えながら、温かい車内で崩れ落ちるように眠っていた。

この日はランナーが大挙してやって来る「一鶴」が予約できないので、予約が可能な善通寺市の「味鶴」を押さえていた。
今回、急な出張で参加できなくなったネコ吉さんが見つけてくれた店で「一鶴」出身とのこと。
味付けは「一鶴」よりもマイルドでスパイシーさには欠けるが「一鶴」よりも安いし、讃岐コーチンという銘柄鶏を使った骨付き鶏を出してくれるのが嬉しい。

ビールが入ると徐々にテンションが上がって来て(運転手はノンアルコールビール)、鶏肉とご飯をがっつり食べて、お土産も買って大満足だった。

食後は「おおにし酒みせ」を覗いてみた。
「味鶴」を探している途中で僕と鍋ちゃんが見つけたのだ。

鍋ちゃんが「今の店!立春朝搾りの案内が出てた!」と言い、僕が「うん、春鹿もあるって書いてあった!」と答えると「アンタら何でそれが見えるんだよ!」と突っ込まれたが、それが目利きというものだ。

訪れてみるとこれが大当たりで、日本名門酒会加盟店で、1時間後に「鳴門」の立春朝搾りと悦凱陣が入るとのことだったので、再び訪れることにした。
その間、風呂へ行こうということになり、店の人に訊くと、近くにいい風呂があるとのこと。
行ってみると580円ながら広くて露天風呂がしっかりしていて、いい風呂だった。
とにかく身体が冷えていたので、風呂で温まると生き返るようだった。
実は走り終わった2時間後くらいから雨が降り始めたのだが、走り終わった後で本当に良かった。

「おおにし酒みせ」に戻ると息子さんが店番しており、話をしてみるともの凄く詳しい。
本当に日本酒が好きなんだなぁと痛感し、こっちも日本酒好きが揃っていたので色々試飲させてくれた。
今年は愛媛と高知の立春朝搾りが売り切れていたが、来年は予約したら取り置きしてくれるとのことだったので、名刺をもらって帰った。
来年も走り終わった後は同じルートに決まったようなものだ。

その後は一路、広島へ向かったが、善通寺市の出発が20時くらいだったので、一人一人を行きと逆回りで降ろして僕のところまで帰った時には23時を過ぎていた。
朝3時に起きて、帰宅が23時過ぎという強行軍で、正直かなり疲れた。

でもきっと、来年も僕は走るだろう。
叶うならば、これからもずっとこの大会には出続けたいと思っている。
第31回目のこの大会に出場した。
出場者12,000人というから、人数だけなら中国地方で一番多い大会ではないか。

僕は2年前に出場し、ぎりぎり50分を切れなかったので(自分の時計では切っていたが)今回は50分切り、つまり40分台を目指していた。
ちなみに昨年は下関海響マラソンを控えていたので、友人たちの荷物番だったのだ。

僕が今、住んでいるところは会場から比較的近いので、出場する友人たちのベースキャンプ&シャワールームとして使ってもらうことにした。
皆が来る前、8時30分に会場へ行き、ナンバーカードだけ貰って帰った。
この時間でも既に続々と人が集まっており、かなりの混雑だった。

自宅に集まった友人たちと雑談しながら珈琲を淹れたり、Tシャツにナンバーカードを付けたりしていると10時過ぎになったので会場へ向かった。
5kmコースの友人もいて、スタート地点では既に選手の集結が始まっていたので、メイン会場には入らず、道路脇で待つことにした。

僕は少しアップしたかったので、メイン会場まで走ったり、トラックを往復したりして、調子を確かめた。
前日から右膝に痛みがあり、手入れはしておいたけれど違和感は消えておらず、鋭い痛みにならなければいいがと考えていた。
11時前にスタート地点へ戻ると、5kmコースの友人が出発した。
僕たちも20分後にスタートするので、上着を抜いでスタート地点に並んだ。

これまでの教訓から、後ろからスタートすると最初が走りにくくて困ると判っているので、ある程度は前に出ておいた。
前のランナーが壁になると、自分のペースで走れないからストレスになるのだ。
ただし、自分の実力に応じた位置を確保しないと、周囲の人に迷惑をかけるから留意のこと。
僕は前に500〜600人はいるかな?と思うくらいの位置に並び、実際の順位も500位台だったので、過不足なかった。

スタート前まで雑談していたので、皆が一斉に走り出すと「あれ?スタートしたの?」と慌てて走り出すような間抜けなスタートだったが、身体は準備していたので、すぐにスピードに乗った。
最初の間は少しドキドキするので、心拍が上がり気味だなと思っていた。
今回はハートレートモニターを付けていたので、心拍数をチェックしながら走ったのだが、これは極めて有効だった。
最近は練習でも装着しているが、ある程度本気で取組むならば、取り入れるべき機械と思う。
僕はスントだが、完全防水なのでポラールのほうが良かったかな?と考えている。

庚午橋を渡るまでは少し混んでいたが、周囲もそこそこ早くて1km4分ペースくらいで走っているのでストレスはない。
橋を渡ってからは道が広くなり、最後まで走りにくいと思うことはなかった。
この辺りで心拍は185を越えており、もう少し落ち着かないかな?と思っていた。
一人で練習するときは、170そこそこで走ることが多く、185を越えるのは少し追い込むときだけ。
それなのに息苦しさは全くなく、脚は軽快に前へ出るし、体幹もしっかりして揺らいでいない。
このまま走り続けても問題なさそうだと感じた。

右膝の痛みもなく、調子良く走っていると心拍数が190を越えた。
ヤバいな、これ以上は無酸素運動になるんじゃないか?と思ったが、数字とは裏腹に身体は特に問題がない。
もちろん、そこまで心拍が上がっているから、それなりにしんどいが、軽快に走れているという気持ちよさのほうが上回る。
このペースがどこまで続くかな?と思っていたら、知人が「いいペースですね!」と声をかけてきた。
その人は僕よりも年上だが、ランナーとしてはずっとレベルが上の人なので、今日は調子よく走れていることが判ったのだろう。
ここは僕の練習コースなんですよと少しお喋りしていたが、登りで呆気なく置いていかれた。

そろそろ折り返しかな?と思う辺りでの心拍は190の後半。
折り返す直前で右わき腹に少し痛みを感じた。
横隔膜が悲鳴を上げつつあるらしい。
タイムは22分。
この時点でトラブルがない限り、目標の50分切りは達成できると見込んだ。

横隔膜の痛みが強くなると困るのでペースを落とそうとするが、脚がどんどん前に出て、心拍は190前半から後半を行ったり来たりしている。
198くらいまで上がると痛みが強くなるようなので、何とか192〜194くらいまでペースを落として誤魔化しながら走る。

折り返してしばらくして残り4kmの距離表示が出た。
今回はここまで距離表示を見なかったので、ないのかと思っていた。
しかし、5kmくらいは出していてほしかったな。
僕が見落とした可能性が高いけれど。

心拍を190前半に抑えつつ走っていると、徐々にわき腹の痛みは薄くなっていった。
おそらく負荷に慣れたのだろう。
それからはずっと190後半の心拍で走り続け、残り2kmくらいまで来た。

この時点で周りを走っているランナーの足音が、一昨年とは違うことに気付いた。
シューズを引きずるような音を出す人がおらず、ジャッ、ジャッ、ジャッと軽快にアスファルトを蹴る音が続く。
そういう人たちとレース終盤で競っていることが、とても誇らしかった。

ストライドは前半ほど大きくはないけれど、脚そのものはまだまだ元気なので、残り1kmの表示を見てからゆっくりとペースを上げた。
心拍計は199まで上がり、さすがに息苦しさも感じる。
会場に入ってからは、そこからさらにペースを上げて、最後は心拍206まで追い込んで、全力でゴールした。

タイムは47分38秒。
目標は達成できたし、最初から最後まで軽快に走ることが出来て、満足感も高かった。
今回は心拍計の威力をとことん感じた。
身体のキツさが数字で判るため、微妙にコントロールしながら走ることができるのだ。
逆に言えば常にギリギリのラインで負荷をかけるため、ある程度は鍛えておく必要があるだろう。

今回の経験から考察すると、僕の最大心拍は210くらいかな?と思う。
年齢から考えるとちょっと高いように思うが、実測値なので間違いない。
これ以上、心拍を上げるのは危険な気がするので、僕の今後の課題は、ここまで心拍を上げなくても速く走ることができるよう、もっとLSDを取り入れる必要があると感じた。

心地よい天気の中を走り、目標を達成でき、今後のトレーニングの目安も立った。
とても美しい一日だった。

ツイッターにも書いたが、走るのはもちろんしんどい。
日々練習していても、何度レースを走っても、それでもやはりしんどい。
でもきっと、それが生きるということなのだと僕は思う。

全力で走って、タイムではなく、その過程に満足して「楽しかった!」とゴールすること。
人生もそうでありたいと心から願った。
出雲路センチュリーライドから一週間。
24日から25日にかけて、周南市で行われる24時間リレーマラソンに参加した。

聞き慣れない競技だが、要は24時間をリレーで走り続けるというもの。
ここでは一周1.63kmの周回コースを走り続け、何周走ったかを競うレースだ。

初めての競技だし、当然だけど24時間走り続けるなんて未知の世界だから、興味津々での参加だった。
もちろん一人では参加できないので、先輩ランナーである鍋ちゃんに声をかけ、そこから芋蔓式に参加者を募った。
チーム名は適当に「チーム快食」とし、鍋ちゃんを部長に据え、僕がマネージャーをやった。
その他の参加者は、634さん、ネコ吉さん、daiちゃん、もっちー、ひこさん、恵、ヤマダくん。

様子が判らないので必要かな?と思えるものをピックアップして、とりあえず現地に向かった。
現地に用意されていたのはテントのみ。
テントの下は地面だったが、鍋ちゃんがアウトドア用品をどっさり持って来てくれていたので、シートを敷くことができた。
その他にも3〜4人眠れるテントを張ったり、折りたたみ式椅子やテーブルを用意してくれていて、なかなか立派なベースキャンプになった。

競技には15名まで参加できるが、我がチームは9名。
しかも、ひこさんと恵は膝に故障を抱えているので、フルメンバーを揃えているチームとは戦力差がちょうど倍くらいあった。
でもまぁ、ケガのないように、集団練習のつもりで走ろうぜということで走り始めた。

第一走者は鍋部長の指名により僕。
とりあえず順番に一周走ってみようよということになった。
24日の正午と同時にスタートすると、短距離走かよ!と突っ込みたいくらい、すごい速さで皆、飛び出した。
何だ!このレースは?
と戸惑いながら周囲に引きずられ、一周6分55秒で帰って来た。
これを1kmに換算すると、4分15秒である。

マジかよ、こんなペースで走るのか?と思ったが、周囲はそんなもんじゃない。
一周5分台で走っている人がいくらでもいる。
トップはおそらく4分台だろう。
24時間レースだから、長距離の競技だと思っていたが、そうじゃない。
これは中距離をリレーする競技だったのだ。

とてもじゃないけれど、僕には付いて行けないので、2周目からはペースを落とした。
一周8分ちょっとで、1kmでは5分くらい。
これでも市民ランナーでは、そんなに遅くないのだが、如何せん、周囲のレベルが高すぎる。
皆も走りながら「一周する間に9割に抜かれて、1割抜き返す感じだな」と感想を言い合った。

当初の予定では、誰かが走っている間に、残りの人はご飯を食べに行こうぜと言っていたけれど、そんな時間はなさそうだと判ってくる。
とはいえ、食べずに走り続けるのは無理なので、テイクアウトのタイ料理を買いに出かけた。
また、この日は鍋ちゃんの誕生日だったので、サプライズで誕生日ケーキも予約していたのだ。

夕方に皆でバースディソングを歌い、鍋ちゃんがロウソクを吹き消し、地元のテレビ局も珍しいからか取材に来て、タイ料理とケーキを食べた。
しかし、この後から徐々に寒さが厳しくなってきて、脚の疲労も蓄積してきた。

僕は20時台に3周して身体を温め、少し横になって休んだ。
この時に少し眠ったようで、起きたのは23時台だった。
中にはこの間にラーメンを食べに行った者もいたようで、走っている者は3名しかいないという状況になったらしい。
そこで僕が起きて走り始めたのだが、0時を過ぎると寝落ちする者も出てくる。
開始から12時間経っており、その間、断続的にハードな運動をしているのだから当然だ。

僕は先に少し休んだので、0時からは率先して走った。
しかし、3時過ぎ頃だったろうか、ハードローテーションで回していたので、徐々に脚が回復しなくなってきて、このままではタスキが止まりそうになった。
この時、友人の女性2名が差し入れを持って来てくれ、脚のマッサージなども行ってくれた。
寒さと疲れで心が折れる寸前だったが、何とか復活し、最も長く睡眠を取っていたヤマダくんを叩き起こした。
取りあえず10周走れ!と言うと、しっかり寝ましたから!と言いつつ5周走ってくれた。
そして、思考力が落ちて次に誰が走るかのマネジメントができなくなりつつあったので、女性の一人がマネジメントを買って出てくれた。

これが非常に有効で、各人の走るペースを見ながら「あと3分くらいで帰って来るから準備して!」とか「あなたの順番になったら起こすから今は寝てて!」とか、これが本物のマネージャーだと敬服した。
選手は走ることに専念し、マネージャーが全体を統率する。
僕のように名前だけのマネージャーではダメで、特に我々のような少人数のチームには、絶対に必要な役割だったのだ。

もう一人の女性は黙々とマッサージしてくれ、この二人がいなければ完走は覚束なかっただろう。
彼女たちのお陰で、明け方には再度仮眠を取ることができたので、夜が開けてからは元気に走り続けることができた。
太陽の光が差し始めると、凍えるように寒かった身体が、徐々に温まって来るのが判る。
日の光ってこんなに温かくて元気が出るんだ!と心から痛感した。
来年はベンチコートが必須だ。

朝になってからはペースを上げて、トータルで20周まで走った。
この辺りから欲が出て来て、フルマラソンを越える27周を走りたいなと思っていたら、鍋ちゃんも同じことを考えていた。
一緒に27周を目指そうよと言ったが、二人がそれだけ走ると、他の人が走る時間がなくなってしまう。
リレーである以上、同じ人が走り続けるのは面白くないので、それを察した鍋ちゃんが「俺はええからシャオちゃん走りな」と譲ってくれた。

鍋ちゃんだけでなく、他の人も頑張れば27周を目指すことができたはずだが、彼らも僕が目指すならと時間を譲ってくれたので、闘争心に火がついた。
譲ってもらった以上、無様な走りをする訳にはいかない。
僕が競技中、常に声をかけていた「速く走らなくていいから、自分のベストは尽くそうぜ」という言葉がブーメランになって突き刺さる。

残り7周は1周ずつ走るよりも、まとめて走って残りの時間は回復に徹したほうが良いと考えたので、終了3時間前の9時台に4周走った。
ペースは一周8分15秒。
数字的には結果が出せたが、走り終わった後はボロボロ。
座っていることもできないほどで、横になって身体の回復を待った。
その間、マッサージもしてもらったが、少し触られただけで飛び上がるほどの痛みがあった。
これで残り3周が走れるのか?と思いながら、筋断絶がなければ何とかなるだろうと考えていた。

鍋部長から「最終走者もお前だ。言い出しっぺが締めろ」と言われ、ここまでずっと一周約8分ペースで走っていたので、最後は11時40分にタスキを渡してくれるよう、周囲にお願いした。
そうすると3周目を走っている途中で時間切れになり、正午を過ぎれば計測器が止まるため、全員で雪崩れ込むようにゴールしても構わないからだ。
僕は一人でゴールするのではなく、一緒に走ったりサポートしてくれた仲間とゴールしたかったので、敢えてそのように時間調整したのだ。

しかし、最後のタスキが僕に渡ったのは11時35分過ぎ。
残り24分少々で、もしかしたら3周ではなく、4周走れるかもしれないギリギリのタイミングだった。
前の走者が頑張ってくれたからなのだが、難しいタイミングで渡しやがって!と思いつつ、時間調整のためにゆっくり走るのは冒涜なので、とにかく全力で走った。
当然だが一歩ごとに脚が痛い。
手を振っても脚が前に出ないので、ピッチを速くして工夫しながらとにかく走った。

1周目は何とか8分を切れたと思う。
しかし、2周目からはガクンとペースが落ちた。
どうやってもペースが上がらなくて、脚が全く前に出てくれない。
3周目は何とかもう1周!と思いながら、懸命に脚を動かしたが、ゴール手前150mくらいで正午を迎えた。
およそ30秒くらい時間が足りなかった。

ちょうど我々のテントがその辺りだったので、仲間とハイタッチしながら走り抜け、そのまま計測器の止まったゴールに飛び込んだ。
トータル27周、距離にして約44km。
僕自身の最長不倒記録の更新である。

そして僕だけではない。
この競技中に我々が走った総走行距離は約270km。
広島駅から博多駅の距離に匹敵する。
順位は130チーム中108位と全然優秀ではなかったけれど、今から振り返っても、本当に素晴らしい時間で、本当に素晴らしい経験だった。
来年もぜひ、仲間を増やして出場したい。
僕だけかもしれないけれど、大人になってから、こんなに感動できるのはスポーツだけだと思う。

ゴールした後は、全力を出し過ぎて座ろうとしても膝が抜けた。
後片付けも手伝えない。
滝のような汗を流しながら、放心状態で座り込んでいることしかできなかったけれど、何とか撤収して、荷物を搬出していると、閉会式でチーム快食の名前が呼ばれた。
飛び賞というのがあり、108位にも商品が配布されたのだ。
受け取るとソイジョイの48本詰め合せだったが、表彰してもらえただけで嬉しかった。

今回の反省はたくさんあり、最大の問題は選手の少なさ。
やはり最大の15名まで選手を揃えないと他チームと競うのは厳しい。
12時間で7名が交代に走り、残り12時間で別の7名が走るような戦略が普通に行われている中で、我々はほぼ全員が24時間走るという、かなり無謀な戦略を取ってしまったのだ。

それと食糧は常に用意していて、ちょこちょこと食べ続けるのが正解。
当初、この機会に周南市の行きたかった店へ食べに行けばいいじゃんと思っていたが、そんな時間はなかったし、がっつり食べてしまうと走れないのだ。
果物やご飯をちょこちょこ摘むくらいで十分。
あとは夜に温かいスープがほしい。
これは今回、差し入れで持って来てもらったが、リアルに生き返った。
逆に昼間は冷たい飲み物が必須なので、氷とクーラーボックスも重要。

また、夜中は走者を見落とすので、服装以外の目印が必須。
我々は快食.comのオフィシャルTシャツを着ていたが、汗で濡れると着替えるため、別のTシャツを着ている時間も長かったし、同じような色合いのTシャツを着ている人がたくさんいたからだ。

また、チームのテントを走っている途中に見失うので、判りやすい幟もほしい。
走りながらの伝達事項が結構多いのだ。

出走ボードは僕が簡単に作って行ったが、もっとちゃんとしたものが必要だった。
ホワイトボードで作成すればベスト。

ストップウォッチと、キッチンタイマーが複数必要。
ラップタイムの計測にストップウォッチと、睡眠時間の管理にはキッチンタイマーが便利と考えたのだ。

それと夜はLEDランタンが必須。
今回は1つしかなかったが、来年は3〜4つほしい。
逆に椅子は皆が持って来てくれたのでほぼ足りていた。
でも、観戦者が増えればもっと必要かも?

チーム総体としてパフォーマンスを上げるため、個人目標をあらかじめヒアリングしておくべきだった。
例えば僕は最長不倒記録の更新という目標を達成できたが、最初から他の人にもヒアリングしておけば、僕だけじゃなく、他の人も個人目標を達成できたと思う。
これはマネージャーである僕の失敗だった。

色々反省点はあるけれど、初回にしてはいい結果だったと思う。
個人的には大成功だったと考えている。

来年はマネージャーとマッサージャーを正式に依頼したし、走者を増やして一人当たりの負担も減らしたい。
24時間あるとはいえ、一人が20周以上走るのはキツい。
合計すると30km以上になるからだ。

広島に戻ってからは、当然打ち上げを行ったが、寝不足と疲労で早々に解散した。
しかし、連帯感と充実感に満ちた、本当に良い打ち上げだった。
来年もぜひ出場したいと思った。

これを読んで、チーム快食で出場したいと考えた人は、ぜひご一報お願いしたい。
しんどいのは間違いないけれど、その分だけ感動できることは僕が約束する。

目標のある生活

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先週、複数の人から「なぜそんなにストイックなのか」と問われた。
自分ではそう思っていないので、そうかな?と答えた。
友人たちと遊ぶことも多いというか、むしろ遊び過ぎないよう、セーブしているくらいだ。

しかし、彼らの指摘はそこではなく、日々の運動のことらしい。
朝早く起きて走ったり、仕事が終わって泳いだり、週末にサイクリングしたり、そういう生活が禁欲的に映るらしいのだ。

確かに運動のことを考えると、色々と無茶はできない。
例えば飲み過ぎで肝臓が弱っているとエネルギーとしてグリコーゲンを使う長距離は苦しくなるし、二日酔いの脱水状態で運動をするのは危ない上に楽しくない。

時々やってしまうけれど、無茶に食べるのもNGで、体重が増えるとウエイトを付けて運動しているのと同じなので、やはり苦しくなってしまう。
寝不足もそうで、運動後にしっかり休息しないと筋肉の回復が望めないし、回復しないと次の運動が行えないし、レベルアップしない。

だから僕は飲み過ぎや食べ過ぎに注意しながら、自分のレベルに応じた運動を行って、しっかり休息している。
そういう生活サイクルは通常、禁欲的に映るのだろう。
また、最近はヘルニアや交通事故に遭いながら、しばらくしたらスポーツに復帰するので、なぜそこまでするのか?と思われるようだ。

理由を述べるならば、僕には目標があるからだ。
僕には「70歳になっても現役の競技者でいる」という目標がある。
これがモチベーションだ。

今からどんなに頑張っても何かの大会で優勝どころか、入賞すら不可能だろう。
そういう意味では優れた競技者になることはできないが、息の長い競技者にはなれるのではないかと考えている。
僕はこれからの人生を、現役の競技者として過ごしたいのだ。

そのためには少しくらい痛いからといって運動を止める訳にはいかない。
痛ければ痛いなりの運動を行えばいいのだ。
今後、年齢を重ねれば様々な故障が出てくるだろう。
その度に休んでいたら、目標である70歳の競技者は実現できない。
だから少しくらい痛くても運動する。

目標が明確であれば、それに向かってどのように行動すべきか、自然と答えが導かれる。
今の僕の生活パターンは、その目標に基づいて定められている。

そして、長期目標達成のための短期目標も定まってくる。
 ○ 9月の160km自転車レースで8時間以内の完走。
 ○ その一週間後の24時間リレーマラソンで、自己最高距離の走破。
 ○ 11月の国際平和マラソンで40分台の完走。
これらの短期目標がどれだけ実現できるか判らないけれど、そのためには練習するしかない。
自分で定めた目標に向かって努力することは、極めて個人的ではあるけれど、素晴らしい経験だ。

もちろん、僕がこのサイトを始めるにあたって掲げた「広島の食文化を向上させる」という目標も下ろしてはいない。
これからは二つの目標が僕の人生の行動指針になるだろう。

なお、プライベートだけではなくて、仕事における目標もあるけれど、それはちょっと秘密にさせてもらいたい(笑)
11月7日の「下関海響マラソン」に参加した。

前述のとおり、足裏炎の心配もあったが、友人も出ることだし、走られるところまで走ろうと思ったのだ。
これが後から考えると、浅はかだったのだが。

ちなみにコースマップを見ながら読んでもらえると、話が見えると思うので、リンクしておく。

現地入りすると大勢のランナーが集まっていて、それだけでワクワクしてしまう。
レースってこの高揚感がいいんだなぁと再認識。
着替える時に、長袖にするか、半袖にするか悩んだけれど、長袖をチョイス。
日焼けを気にしたのではなく、走れなくなった時に、寒くなるかもしれないと考えたのだ。
結果として、この選択は正しかった。

僕のスタートはFブロック。
最も遅いランナーが揃っているブロックで、周囲には着ぐるみの人も多かった。
正規のスタートゲートにたどり着くまで7分もかかってしまったが、何とかスタート。
周囲はかなり遅くて、キロ6分よりもゆっくりペース。
普段の僕なら前に飛び出していただろうが、今回は足の様子を伺いながらだったので、10kmまでは本当にジョギングペースだった。
比較的気持ち良く走れていて、テーピングとコンプレッションソックスが良かったのか、足底炎も表面化していない。
違和感はあるけれど、はっきりとした痛みにはなっていない感じなのだ。

練習不足でスピードには乗れないけれど、まぁ何とかなるかな?と思いつつ、15kmくらいまで大きなトラブルはなかった。
実は競技を中止する一つの目安がこの15km過ぎだった。
ちょうど、海響メッセ下関から東へ進み、再びスタート地点まで戻っていたからだ。
ここからは徐々に北上する、タフなコースとなるのは判っていたが、まぁ、もう少し大丈夫だろうと考えてしまったのだ。

しかし、21kmを越えたくらいから徐々に膝や筋肉の痛みが出てきた。
ペース的には2時間10分くらいだったと思う。
そんなに飛ばしていないし、左足を庇うような走り方はしなかったつもりだけれど、身体は正直だ。

ちょうどこの辺りから彦島のアップダウンに差しかかり、歩く人も増えてきた。
僕は基本的にマラソンは走る競技だと思っているので、歩くのは潔しとしない。
少しくらい脚が痛くても、給水所で脚に水をかけながら走り続けた。

そして、26km手前の給水所でやはり脚に水をかけていたら、右のシューズが汚れていることに気付いた。
赤い塗料が染み込んだような汚れで、何だろう?と思ってしばらくして、内側から染み出ていることに気付いた。
給水所まで逆走し、救護所を尋ねると3km先だと言う。
そこまで走るのかよ!と思ったけれど、絆創膏などの簡易的なサポートグッズはあると言う。
おそらく爪のトラブルと思ったので、ボランティアの手を借りてシューズを脱ぎ始めた。
自分で脱ごうとしても、前屈みになると腹筋が攣りそうになるし、脚も痛い。
恐縮ながら脱がしてもらい、次にソックスを脱がそうとしたが、これがなかなか脱げない。

女の子が二人がかりで何とか脱がしてくれたが、見ると足指が血だらけ。
そのままではどこが傷なのかも判らないので、ペットボトルの水で洗ってみた。
すると、爪の一部が指に当たって、指の一部が切れていた。
爪が割れたのではなかったので、何とかなるだろうと思い、絆創膏を貼ってもらって応急処置とした。
それにしても彼女たちも災難だっただろう。
削れた皮膚など血染めの組織がへばりついているのを見たときは、明らかにドン引きだったのだ。
再出発するときは、もちろんお礼を述べたが、悪いことをした。

そこからは長州出島までが相当きつかった。
とはいえ、もうここまで来たのだから、何とか端まで行ってみようというのが一つと、走っていたら途中で楽になることがあるので、身体が限界を突き抜けるかな?と甘く見ていたのだ。

この出島には救護所の他に充実したエイドステーションがあった。
ここまで給水給食以外は歩かずに来たが、さすがに救護所で足を止め、横になって脚を冷やした。
氷が用意されていたので、それをビニール袋に入れて、脚に置くのだ。

この時点でかなりヤバいなと感じ始めていた。
しかし、まだ3時間くらい時間が余っているし、残りは12km少々。
普通ならどんなにゆっくり走っても1時間半で走り切れるが、さすがにそれは無理だろうと判った。
疲れというよりも、痛みが出始めていたし、右足も左足も負傷しているのだから、リタイアも考えた。
しかし、リタイアバスに乗ってしまうと、帰着が15時過ぎになってしまう。
友人たちを待たせることになるので、少しずつでも、それこそ這ってでも前に進もうと思って走り始めた。

ここでは僕の好きな「菊川の糸」がそうめんを出してくれていて、その塩味が疲れた身体に染みた。
以前にも書いたけれど、僕は毎年、夏の始めに「菊川の糸」を9kg、実家に送っているのだ。

最初の異常は30kmを過ぎた辺りだったかな。
左のふくらはぎがビクビクッと痙攣した。
幸いコンプレッションの効いたランニングタイツを着用していたので、走りから歩きに代えると痙攣は止まった。
もしかして、このまま疲労を突き抜けることなく、痛みが蓄積されるのか?と不安になり始めた。
しかし、それでも脚を止める訳にはいかない。
ついに上り坂では全く走れなくなり、下りで軽く走っていたら、やはり左が痙攣する。
ストレッチをしても、糖分を補給しても、全く痙攣が治まらないのだ。

仕方がないので、なるべく早足で歩く。
これ以上、早く歩くと痙攣するというギリギリのラインで歩き続ける。
キロ11分ペースだったかな。
このペースでもヤバいくらいだった。

何とか誤魔化し誤魔化し、力が戻って来たら走り始めようと考えつつ、残り5kmの地点まで来てしまった。
さすがに焦りも出てきて、このペースではたった5kmに1時間以上かかってしまう!と思い、再度、走り始めた。
すると、やはり左のふくらはぎに、今度は絶望的ともいえる痙攣が襲ってきて、コースアウトしてしまった。
縁石に座り、マッサージしようとするが、上から体重がかかっていないと余計に痙攣が酷くなる。
仕方がないので立ち上がって体重をかけつつマッサージを行う。
それからしばらくセルフマッサージを続けたが、本気でリタイアを考えた。
その場に収容バスがあったら、間違いなく乗り込んでいたと思う。
しかし、僕が座り込んでいる間にも次々とランナーが通り過ぎて行く。
彼らに出来るのだから僕だってもう少し!と自分を鼓舞して歩き始めた。

この後は歩くことすら難しくなり、一歩一歩に歯を食いしばるほどの痛みが続いた。
徐々に膝から下の感覚が麻痺してくるが、痛みが消える訳ではない。
隣を軽やかに脚を上げて走るランナーが通り過ぎると、すごく羨ましかった。
もう僕は足を10cm上げて下ろすことすら難しくなっていたのだ。

沿道の人たちは、どうしてあの人は歩いているのにあれほど苦しそうなのだろう?と不思議に感じただろう。
周囲からは怠けているように見えただろうが、僕は僕なりに必死で戦っていたのだ。

結局、最後まで脚が復活するどころか、蓄積する疲れと痛みに苛まれつつ、42km地点まで来た。
残り200m。
僕は最後の最後はぶっ倒れても構わないから走ろうと思っていたので、両手を大きく振って何とか脚を動かした。
ラストスパートにはおこがましいレベルだが、何とか最後だけは走ることができた。

完走タイムは5時間40分。
フルマラソンのタイムとしては散々な記録である。
完走というか、とりあえず42.195kmを自分の脚だけで移動したことには達成感があったけれど、タイムには大いに不満が残った。
とはいえ、今のコンディションを招いたのも、走り込みが足りていないのも自分である。
走った距離は裏切らない。
僕以外の2人は4時間30分と、4時間16分という素晴らしいタイムだった。
特に大ちゃんは初フルで4時間16分という快挙。
彼は元々僕よりも身体が丈夫というのもあるけれど、月間200km近く走っていたので地力が付いていたのだ。

ゴールすると緊張感が切れ、痛みが一気に襲ってきた。
上半身もあちこちが痛いけれど、壮絶なのはやはり両脚。
10mの移動も億劫だし、15cmの段差を越えるのでさえ悶絶しなければならない。
タイツを脱ぎたかったが、更衣所までの移動が億劫で、脱いだり着たりが困難なので諦めた。
自分の脚が自分の思うように動かないというのは、本当に不便なものだ。
障害を持つ人は毎日がこんな状態なんだ、とそのつらさが少しだけ判った。

その後はサイクリング組の友人たちと合流し、遅い昼ご飯を食べて帰路についた。
朝3時に起きて、7時に下関入りし、8時30分から競技を開始し、自業自得ではあるけれど5時間以上運動を続けていたのだから、食べたら眠くなるだろうと思っていた。
ところがどっこい、脚が痛くて痛くて、全然眠くならないのである。
まぁ、運転手のネコ吉さんとお喋りができたから良かったけれど、これって治るのか?というレベル。
地力でビールを買いに行くこともできないので、コンビニ経由でビールを購入して帰宅。

身体が潮を吹いていたので熱いシャワーを浴びてさっぱりし、下松SAで買った鶏肉の炭火焼でビールを飲んだ。
おそらく極度の運動のためだろう、あまり量が食べられなかったし、味覚も変だったが、少し無理に詰め込んでベッドに入った。
脚には大量にサロンパスを貼ったが、疲れが酷くてなかなか眠れない。
なぜか妙に寒かったのでストーブで部屋を暖めると、どうにか眠ることができた。

それなのに翌朝はパジャマがぐっしょり重くなるほど寝汗をかいていて、自分にその記憶がないことに驚いた。
たぶん、代謝がおかしくなっていたのだろう。
一晩経つと、どうにか15cmくらいの段差なら平然とした顔で越えられるようになったし、少しは歩けるようになったけれど、下り階段は手すりに掴まらなければならなかった。

とはいえ、3日後にはかなり回復し、これを書いている6日後は日常生活に痛みを感じないレベルまで戻っている。
週末はウォーキングと軽いジョギングでリハビリしようかな?と考えている。

それにしてもフルマラソンって1年に1回で十分。
そこに目標を定めて、しっかり練習しないととんでもないことになる。
身を持って学んだが「下関海響マラソン」には、できれば再び出場したい。

エイドが充実していたし、声援がとても多くて励みになった。
往路だけでなく、復路でも声援が減らなかった。
おそらく5時間以上声援を送り続けてくれている人たちがたくさんいた。
私設のエイドや塩をどうぞという女性もいた。
コースは後半に坂が続くハードなものだが、住民の方々の温かさがとても嬉しかった。
正直、後半は走りたくても走れなくて、声援に応えることができなくて、不甲斐なさに唇を噛んだのだけれど、それは僕の問題である。

次は2月の香川丸亀国際ハーフマラソンだ。
こんな体たらくでは、昨年の1時間47分を上回る記録は望めないだろうが、何とか楽しんで走れたらと考えている。

足裏炎と接骨院

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今日は第30回の「ひろしま国際平和マラソン」だった。
僕は仕事に追われている間にエントリー期間が終了してしまい、出走できなかったが、友人たちが走るのでサポートを買って出た。
幸い会場の近くに住んでいるので、荷物置きとか走った後のシャワーとか、色々と提供できるのだ。

素晴らしい天気で、多くのランナーがニコニコと出走準備をしているのを見ると羨ましくてたまらなかったが、友人たちを送り出し、大荷物を持ってゴールを待つ。

つもりだったが、さすがに暇なので広場へ冷やかしに行った。
「ぴぃすぅあ」が出店しているから、それを目当てに訪れたが、無料の鍼灸マッサージコーナーがあった。

前回書いたように、僕は左足裏に爆弾を抱えているので、鍼かなぁ、マッサージかなぁと思って相談すると、マッサージかな?との答え。
マッサージの先生は、足の裏よりも「これはヒドいよ」と肩と首を主にほぐしてくれた。
それはそれで気持ち良かったし、楽になったのだけれど、足裏はどうしたものかな?と思っていたら、接骨院の施術師の方も無料コーナーを出していた。

僕は接骨院って、その名のとおり骨を繋げるところだと思っていたので、あまり意識したことがなかったのだが、ちゃんとした国家資格で打撲や捻挫の専門とのこと。
だったら僕の足はどうだろう?と思って診てもらった。

診てくださったのはとても丁寧な先生で、細々と触診した後「足裏炎ですね。急に激しいトレーニングしたでしょ?」と言われた。
仰る通り、今年の夏は暑かったし、何よりも走る時間が全然取れなくて、週末に長距離を走った時からの痛みだ。

「一応、テーピングしますが、根治にはウォーキングとアイシングが必要です。シューズにはDSISを入れてください。たぶん1〜3ヶ月で治るんじゃないかな?」とのことだった。
4日後にフルマラソンなんですと言うと「私も陸上をやっていたから判るけれど、この足じゃ走れないよ。そうは言っても出るんだろうけど」と言われた。

全く仰る通りで、無理は承知で出る予定。
ただ、完走できるとは思っていない。
どれだけ無理かは自分でも判る。

しかし、とても適切なサジェスチョンで、僕の接骨院に対する評価は大きく向上した。
へー、接骨院ってこういう施術を行う施設なんだ、と認識を新たにした。

ちなみに僕の足を診てくれた方は、安佐北区の三入接骨院の仲本先生。
どこの接骨院?と訊いても「近いところに行かれるのが良いですよ」と言われ、なかなか教えてくれなかったが、最後に聞き出した(笑)。

間違いなく、4日後の「下関海響マラソン」は完走できないだろう。
今日、あまりに気持ちが良いので、芝生の上を数百メートル走ったが、それでも足裏に違和感があったので、お話にならない。
もちろん、練習も全く足りていない。
フルマラソンの話をすることが、おこがましいレベルだ。

きっと4日後は悔しい思いをすることだろう。
でもそれでいい。

期限がある訳ではないのだから、じっくり距離を積み上げて、いつかリベンジすればいい。
楽しみが先に延びたと考えよう。
もちろん、負け惜しみでそう自分に言い聞かせているんだけれど(笑)。
最近、走っていると左足の裏が痛くなることがあった。
まぁ走り込みができていないからと軽く考えていたが、今日、走ってみると本格的な痛みが出て来た。

途中で足をマッサージしたり、ストレッチしたりしたが、一時的に回復しても、しつこく痛みが復活する。
それでも何とか8kmくらい走ったので、今度は帰らなくちゃいけない。
10kmを過ぎた辺りから、これ以上無理をするとヤバいのではないか?と感じるようになってきた。

僕は一応、11月7日の下関海響マラソン2010にエントリーしているのだが、これはちょっと想定外。
も、も、もしかして、足底炎?

歩く分には問題ないが、走っていると徐々に痛みが強くなり、そのうち走れなくなる。
ヤバいなぁ。

筋肉疲労や肉体疲労で走れなくなるのであれば諦められるし、それが今の実力なんだと思い知ればいい。
しかし、こんな中途半端な痛みで走れなくなるのは勘弁してもらいたい。
僕は記録よりも全力を出し切ったという達成感がほしいのだ。

本番まで2週間しかないので、とりあえず炎症を抑えるしかない。
サロンパスを買って来て、足の裏を中心にべたべたと貼った。

それにしても悔しいな。
当日までに何とか走れる状態になりますように。

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